2019年06月11日

120字の昭和史No.02~ダッコちゃんのまがい物

 時代:1960年(昭和35年)ごろ

昭和30年代の流行りもの―ホッピング、フラフープ、地球ゴマ、東京タワーの精密模型・・・そんな都会の流行をよそに、田舎小僧はまだまだ虫捕り、桑の実、川遊び。でもそんな田舎町にも押し寄せたダッコちゃんブーム!何が受けたのかいまだ謎ながら、腕に抱きつかせれば気分は都会っ子。

ダッコちゃん.jpg


 子どもの頃、大人に連れられて映画館へ行くと、たいていは本編上映の合い間にニュース映画がかかって、東京の流行りものが映し出されることがよくありました。

 ホッピングという、細長い軸棒にばねと足載せのついた遊具で、子どもたちが飛び跳ねている姿や、大勢の女学生たちが腰をくねらせながら輪っかを回転させるフラフープの光景など、これらのニュース映画で見たのではなかったのかしら。
 私は近所でこれらの現物を見かけた記憶はないのですが、ホッピングは胃下垂になるとか、フラフープは腸捻転になるとか、そんな噂が私の周りでも流れたことがあり、子どもに買い与えないで済むよう、親たちが予防線を張っていたのかも知れません。
 私はフラフープをてっきり、サーカスの猛獣の輪くぐり芸の輪っかが、こんな使われ方もされるんだと、妙な感心をしたものです。
 でも特にそうした遊びに、羨望を感じたこととかはなかったですね。
 

 竹馬や缶ぽっくりの腕を競い合うほうが面白そうでしたし、石を積み上げ川をせき止めた即席のプールで、素っ裸で泳ぐ爽快感は格別でした。
 桑畑は格好の遊び場で、かくれんぼや鬼ごっこ、桑の枝ではチャンバラごっこ、桑の実が熟せばそれをほおばり、真っ赤になった口の中を見せ合っては笑いころげたものです。

 子どもたちの間で流行したもの―という括りで昭和30年代を降り返ってみると、私の暮らしていた南信州の地方都市においても、はっきりとその流行の片鱗がうかがえたものと云えば、ダッコちゃんしかありません。

 この話題も確かニュース映画で取り上げられていたはず。
 若い女性や子どもたちがこの黒いビニール人形を腕にくっ付けて闊歩する、銀座あたりの風景が映し出されていたような。
 それでも都会という遠い国の話ぐらいに思っていたら、わが町の銀座通り(というのが実際にあるのです)にもちらほらと同じ光景が!
 これには若干心を動かさました。
 「欲しいな~欲しいな~」と妹と共同して母親にねだる頃になると、すでに慢性的な品薄状態だったようです。

 銀座通りにわりと大きなおもちゃ屋さん(というより人形店)があったのですが、ここでも品切れでがっかりした思い出があります。
 ちなみにここは伊賀屋人形店と言いまして、江戸時代から続く老舗です。数年前にここを訪れた時には、もっぱらフィギアやプラモデルを扱う卸問屋みたいな店構えになっていて、数十年前の面影はありませんでした。
 銀座通りもかつての賑わいはすっかり鳴りをひそめており、寂しい思いがしたものです。

 そんなわけで売ってないものはしょうがないと諦めかけたある日、何かのついでに別の通りを歩いていると、駄菓子屋の店頭の軒下に、ダッコちゃんが吊り下げられているのを見つけ、ようやく買ってもらえて兄妹ニコニコ顔・・・

 ところが―

 今から思えば粗悪なまがい物だったのかも知れません。
 腕に抱きつかせても、すぐに空気が漏れぶよぶよになるので、流行の最先端どころじゃなく、みっともないったらありゃしない。
 だいいち目がウィンクしなかったぞ。(ダッコちゃんの別名は、確かウィンキイ)
 空気と一緒に、都会っ子気分もすぐに凋んでしまいました

 本物の方は製造元がタカラビニール工業所、のちにタカラと改称―現在のタカラトミーの前身ですね。
 しかしこのとき、ダッコちゃんの爆発的な売れ行きに気を好くして増産体制を敷いたものの、日本中を席巻したブームは実に短期間で終息したとか。
 この過剰投資が災いして、タカラは一時経営危機を招いたそうですがそれを教訓とし、その後の快進撃を支える基盤が作り上げられたと言います。
 
 最近そのタカラトミーの子会社タカラトミーアーツから、『ザ昭和シリーズ』と銘打って、昭和の懐かし家電のミニチュア玩具が登場しました。
昭和スマアトテレビジョン.jpg
 

 スマホアプリを使用して、ちゃんと映像も映ります。
 画面が乱れて叩くと直る、という演出効果も盛り込まれていて、当時のあるある情景を彷彿とさせてくれます。

 テレビの他にもラジカセ、卓上レコードプレイヤーの三種が発売されており、こういうのに私は弱い。即三点買いしました。(実はまだいずれも未開封)

 ダッコちゃんから、少し脱線しましたが、平成から令和に時代は移っても、このブログでは昭和の時代にこだわって進めていきたいと思います。

posted by Pendako at 10:48| Comment(0) | 120字の昭和史 | 更新情報をチェックする

2019年06月10日

120字の昭和史No.01~うちにテレビがやって来た!

 時代:1961年(昭和36年)頃

うちにテレビがやって来た!友だちんちや大家さんちで、肩身狭くして見せてもらわなくても良くなった。NHKと民放1局、たったふたつのチャンネルだけど、電源入れて映るまで辛抱強く待たなきゃならなかったけど、粗い画面の白黒テレビだったけど・・・ついにテレビがやって来た!

白黒テレビのある茶の間.jpg

※台東区下町風俗資料館の展示品「白黒テレビ」
わが家の初代テレビもこんなふうでした。足こぎのミシンも、この写真と似たような配列で置いてあったなぁ~

 昭和30年代の半ば、私が保育園児だった頃―大昔(笑)の話です。
 まだテレビのない家庭も多く、よその家にお邪魔して観させてもらうというのは、ごく普通のことでした。
 
 近所の人たちがお茶の間に寄り合って、力道山のカラテチョップに歓声を上げる―という「ALWAYS~三丁目の夕日」のシーンは、多少の誇張はあるにせよ、私の住んでいた南信州の片田舎でも、ありふれた光景だったのです。

 私はというと、近所に同い年の仲良しがいて、ひとしきりおもてでその子と遊んだあと家に上がらせてもらい、「ナショナルキッド」や「まぼろし探偵」などの子ども向けドラマを一緒に楽しんだ―というのが、テレビに纏わる最初の記憶です。

 当時私は、チャンバラ映画(東映時代劇)を真似て、風呂敷で宗十郎頭巾の形に頭を蔽い、木の棒を振り回していたのですが、テレビ番組の影響は甚大でした。
 いつのまにか風呂敷は背に靡かせるものとなり、両手に拳銃を構え(るフリで)、悪漢役の友だちを撃ちまくるようになっていました。(月光仮面も七色仮面も、正義の味方は何故か二挺拳銃)

 いずれにせよ、子どもの遊びに風呂敷は大活躍でした。

 ほどなくして引っ越すことになり、同じ市内でも市街地の西方、山裾に民家がポツポツ立ち並ぶあたり、リンゴや梨や桃の果樹園の一角に新築された、長屋のような集合住宅に暮らすようになると、果樹園農家でもある大家さんの家が、テレビ鑑賞の劇場となりました。
 ここのテレビはとてもゴージャスで、観音扉を開くと大型のブラウン管が現れるタイプ。画面にはちらつき防止のフィルターが嵌めこまれていました。

 扉が開かれ、おもむろにスイッチが入れられると、暗い画面が次第に明るくなり番組が映し出されるのですが、真空管が暖まるまでの数十秒間の待ち時間が、とてもワクワクしたことを覚えています。
 まあ、そこで観たのは「ジェスチャー」とか「お笑い三人組」とか、穏当な番組ばかりでしたけど。

 他の住人たちも集まって、茶菓子や果物などもふるまわれ、大家店子の親睦会のような趣でした。
 私はというと、大人たちの雑談をわずらわしく思いながら、テレビの画面に集中しようと、いつも一番前に陣取っていた記憶があります。
 
 しかしやはり、他人の家でテレビを観るのは窮屈で、観る番組も子ども心にはさほど魅力的でなかったのか、お呼ばれされても伺わないことが多くなったようです。

 わが家に突然テレビがやって来たのは、そんなある日のことでした。

 親から何も知らされていなかったので、長屋の脇に軽トラックが止り、恰幅のいいオヤジが大きな箱を抱えて家に入って来たときには何ごとかと驚きました。
 箱の中から現れたのは、NEC製16インチのテレビ受像機―と知った私が、狂喜乱舞したかどうかはあまり覚えていません。

 部屋の隅に受像機が据えられ、屋根にアンテナを立てて線を繋げ、電源を入れて最初に映し出された映像は、何か古い洋画のワンシーン―「ジャングル・ブック」だったかも知れません。大蛇が河を泳いでいく場面をおぼろげに覚えています。

 それよりも印象深かったは、設置作業を終えた電器屋のオヤジが、「おめでとうございます」とニコニコ差し出してくれたデコレーションケーキ。
 家庭にテレビが据えられるのはこの当時、とてもめでたい一大イベントだったようです。

 ただしこの頃は、親による視聴制限が厳しく、好きな番組を好きなだけ楽しむ―という訳にはいきませんでした。

 朝は「おさるのピッキーちゃん」(正式タイトルは忘れました)を見てから保育園へ。
 この番組の中で、「よいこ」や「めばえ」といった小学館の幼児向け雑誌の宣伝をよくやっていました。この時間帯では永谷園のカレンダーふりかけのCMも流れていたな~

 保育園を引けてからすぐにテレビに齧りつく―ということも許されず、お楽しみは夕食前のひととき。「みんなのうた」「チロリン村とくるみの木」「こどもニュース」「ふしぎな少年」「ものしり博士」など。

 夜は母親につき合って,「夢であいましょう」「若い季節」「事件記者」「咲子さんちょっと」「シャボン玉ホリデー」「ララミー牧場」「ルーシー・ショー」など。
 テレビの前に蒲団を敷いて、寝っころがりながら観ていたので、途中で寝入ってしまうことが多かったですが。

 やはり平日の7時台や土日は子ども向けの番組が多く、いくつかは観ることが許されました。
 「ポンポン大将」「名犬ラッシー」「テケテケおじさん」「三バカ大将」「ちびっこ大将」「ハイウェイパトロール」「怪傑ゾロ」「ジャングル・ジム」「ライフルマン」など。

 こうして並べてみると、なんだか随分と観てますね。
 それらの番組が、ほんの断片的な映像記憶とともに、懐かしく思い出されます。

 特に楽しみながら観た番組については、おいおい「120字のテレビ館」のほうで取り上げていきたいと思います。


posted by Pendako at 11:59| Comment(0) | 120字の昭和史 | 更新情報をチェックする
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