2019年02月14日

120字の読み物世界No.15~大伴昌司その1 「世界怪物怪獣大全集」

 監修:大伴昌司
 キネマ旬報復刻シリーズ 大伴昌司コレクション「世界怪物怪獣大全集」(キネマ旬報社1996年12月 初版)より


昭和40年代、突如湧き上がった怪獣ブーム―仕掛け人のひとりが、満を持して世に問うた、怪獣百科の決定版!お馴染みのゴジラやガメラばかりか、キングコングを嚆矢とする欧米映画のモンスターも勢ぞろい。天才・大伴昌司の、痒いところに手の届く、超絶の編集ぶり!!

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 オリジナルは、昭和42年(1967年)キネマ旬報社から刊行されたビジュアル・ムックです。ここに掲げたのは、その復刻版。

 昭和42年がどんな年だったかというと、東京オリンピック(1964年)後に高度経済成長が一時停滞したものの、大阪万国博覧会(1970年)に向けて再び盛り返し始めた時期だと思います。

 当時の首相は佐藤栄作。
 日本政府のベトナム戦争への加担に反対する、新左翼による羽田事件を皮切りに、学生運動が武装闘争の色合いを強めてきた年でもあります。
 もちろん田舎町の小学生だった私は、そんな不穏な社会情勢などには、とんと疎かったのは言うまでもありません。

 私の記憶に残っているのは、前年のビートルズ来日に引き続き、同じく大英帝国からやって来たツイッギー。
 ミニスカート流行のきっかけになった出来事ですが、やせ細ったツイッギーのミニスカート姿を見ても何の感興も起こらず、こんな魅力の薄い女性に、なぜ世間はかくも大騒ぎするのか不思議―という意味で印象に残った次第。

 のちに彼女が主演した、ケン・ラッセル監督「ボーイフレンド」(英 1971年)を観て、多少魅力の片鱗を感じましたけど。
 なお、森永の「小枝」は、ツイッギー(Twiggy=小枝)にあやかったネーミングだそうです。

 あとグループサウンズの全盛期も、この年ではなかったかしら。
 「ジュリー!」「ショーケン!」と、クラスの女子はワーキャー騒いでいましたが、「愚にもつかない歌ばかり歌いやがって」と、私は馬鹿にしておりました。(そのくせ大学時代のコンパなどでは、酔いに任せてGSメドレーをがなり立てたものです・・・女子に受けるので)

 クラスの男子は、アニメ派と怪獣派に分れていたようですが、私は文学派・・・な訳はなく、前年の『ウルトラQ』に続く『ウルトラマン』や、特撮映画に出てくる怪獣の、名前・体長・体重・特技・武器などを覚えるのに、余念がなかったですね。(東宝-円谷系の怪獣が、体重〇万トンとする設定が妥当かどうか、悩んだものです。鋼鉄の塊りじゃあるまいし)

 そんな怪獣少年たちの情報ソースは、おもにマンガ雑誌。
 月刊誌では「少年画報」や「ぼくら」など、週刊誌では「少年マガジン」「少年サンデー」「少年キング」が、こぞってグラビア特集や読物で怪獣を取り上げていました。
 あと怪獣図鑑の類や怪獣ドラマのソノシートが、いくつも出ていました。
 それらを教室に持ち寄っては、みんなでああだこうだ激論を飛ばしたものです。

 そうした媒体に、やたらと名前の出てくるのが、大伴昌司という人物でした。
 作家でも編集者でも評論家でもないらしい、謎の人物。
 
 同じ町内にS君という、学年がふたつ下の怪獣博士がいて、ふたりでよく怪獣の切り抜き写真の交換などしていたのですが、あるとき彼が一冊の本を携えて遊びに来ました。
 ニコニコしながら見せてくれたその本が、大伴昌司監修の「世界怪物怪獣大全集」。
 中身を覗いて驚嘆しました。

 見たことのない貴重な写真が満載、ページを捲ればお馴染みの特撮映画や特撮テレビの怪獣はもちろん、海外のSF映画などに登場する怪獣や怪物たちの珍しいショットが、次から次へと現れてくるのです。

 それも全篇まるまる一冊、怪獣特集!
 写真も解説も読み物も充実、懇切丁寧な編集ぶりで、編集者の気合のほどを、ひしひしと感じさせる造りでした。

 その概要は目次頁を参照いただき、雰囲気を味わっていただけたらと思います。
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 いったいS君はこの本をどこで手に入れたのだろう―と彼に聞くと、誕生日に父親が買ってくれたそうで、「恵まれた家庭だな~」と羨ましく思ったものです。

 その後本屋を回るたびに探したのですが、見つかりません。
 まだ本屋に取り寄せてもらうという知恵もなく、隣町の大型書店にひとりで出かける勇気もありませんでした。

 そうこうして半年以上経ち、信州の従兄弟の家に遊びに行ったときのこと。
 花火を買いに街に繰り出すと、通りすがりにあった小さな本屋の平台に、一冊だけビニール袋に入ったそれが置いてあったのです。
 心臓が跳び出る思いでした。
 はやる気持ちで掴むと、もはや花火はどうでもよく、持ち金のほとんどをつぎ込んで購入していました。

 念願の本を手にして、それこそバイブルのように繰り返し繰り返し繙き、まだ観たことのない怪獣映画の数々を、いつかまのあたりにする日が来るのだろうか―そんなことをいささか懐疑的に夢想したものです。(現在の、ビデオソフトの氾濫する時代など、とうてい予測はつきませんでした)

 付録にB2サイズの「世界怪物怪獣大系統図鑑」(裏面「戦後日本公開主要怪物怪獣映画目録」)が綴じ込まれていて、私はそれを自室の壁にでも貼ろうと、綴じ目近くで切り取ろうとしたもののうまくいかず、ぎざぎざになった切れ目を、半べそかきながらテープで補修した思い出があります。

 大伴昌司その人については、またおいおい記して行こうと思います。
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2019年01月19日

120字の読み物世界No.14~児童文学その2「太平物語」

 著者:福世武次 絵:箕田源二郎
 日本の子ども文庫4「太平物語」(講学館 1964年6月 第5版)より

いたずら盛りのきかん坊、負けず嫌いで喧嘩っ早い。だけど母思いで妹思い、曲がったことが大嫌い。どん底の貧乏生活にもめげず、太平が村や学校で引き起こす、抱腹絶倒の騒動の数々!健気な奮戦ぶりに感涙必至の挿話も散りばめた、少年太平の成長記!!

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 『日本の子ども文庫』という叢書の一冊です。

 といっても、この叢書について詳しい情報は、ほとんど得られません。
 昭和33年(1958年)初刊の「たぬき学校」を皮切りに、昭和45年(1970年)の「リスキーとドブネ」まで、14冊は書名・著者名が確認できる・・・という程度。(国立国会図書館のデータベースによる)

 「太平物語」のあとがきなどから推察するに―
 戦前に、『婦女界』という婦人雑誌の編集長だった福世武次が、昭和30年(1955年)11月に創刊したのが児童雑誌『日本の子ども』(終刊は不確定情報ながら昭和43年4月)

 この雑誌に掲載された童話や小説が、『日本の子ども文庫』として書籍化されるなかで、自ら筆をとった「太平物語」もここに編入された、ということのようです。

 この叢書では他に、同じ著者の「続・太平物語」、今井誉次郎の「たぬき学校」「おさるのキーコ」、富田博之の「ゆかいな吉四六さん」の4冊が、私の実家に眠っていました。
 いずれもはるか昔に、面白く読んだ記憶があります。

 雰囲気的には、講学館という出版社やその刊行物は、業界の中でも左派系に属するような気がしますが、私が読んだ範囲で言えば、そうした色合いはほとんど感じられません。

 どれも子ども心には、抜群に面白い作品ばかりでしたが、いずれも現在絶版状態で入手困難-というのは、実に残念な気がします。
 
 ちなみに山中恒の「青い目のバンチョウ」「頭のさきと足のさき」も、最初は『日本の子ども文庫』から出されています。
 山中恒が大林宣彦監督の映画「転校生」および「さびしんぼう」の原作者と知ってから、その原作本を含め、たて続けに10冊近く読んだ覚えがあります。そのなかに偕成社版の「青い目のバンチョウ」もありました―お恥ずかしい話、私がもう三十代に差しかかろうかという頃のこと。

 さて「太平物語」は、主人公・太平の四、五歳ごろから小学校を卒業する前後までの出来事を、10篇の短篇にまとめた連作集です。(短篇ひとつに、いくつもの挿話を詰め込んでいる場合もあります)

 物語の舞台は、静岡県榛原郡の吉田村(現・吉田町)あたり―焼津と牧之原に挟まれた、海べりの地域ですね。
 時代はおそらく、大正の終りから昭和にかけての頃と思われます。

 この地方の方言がやたらと出てきます。
 なんとなく私の生まれ故郷の南信州や、そこから移り住んだ三河地方の方言に似かよった所があって、懐かしい響きがあります。

 小さい頃から手の付けられないきかん坊―この地方では「かじわら」と呼ぶそうですが、その太平が四歳の時に・・・

 と、抱腹絶倒のエピソードのひとつでも紹介したいところですが、実は記憶を呼び覚ますため、パラパラと拾い読みしているうち嵌まってしまい、昨夜は冒頭から半分近くまで読み進めることになりました。

 詳しい紹介は読了後、別の機会に言及してみたいと思います。

 ということで今回はここまで。
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2019年01月18日

120字の読み物世界No.13~児童文学その1 「五次元世界のぼうけん」

著者:マデレイン・ラングル 訳者:渡辺茂男 絵:津田宏
原題:A Wrinkle in Time
国際児童文学賞全集9「五次元世界のぼうけん」(あかね書房 1965年8月初版)より

落ちこぼれのメグが行方不明の父を探すため、変わり者の弟チャールズ、霊感者のカルビンと連れ立って、遥か宇宙の果てにワープする!助力するのは三人の不思議な老女、迎えうつのは正体不明の「それ」-不気味な天体を舞台に、地球存亡を賭した心理闘争が始まる!!


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 ある日、私が小学校から帰ると、勉強机の上にずっしりとした段ボールの箱が置いてありました。
 なかを開くと高級感漂う装丁の本が、ぎっしり。
 あかね書房版『国際児童文学賞全集』の12冊でした。
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 いまでは新聞購読の勧誘ぐらいでしかお目にかかりませんが、当時(昭和40年前後)はまだ、訪問販売という業態がとても盛んでした。

 私の母親は並外れたお人好しで、訪問販売員がやって来るとお茶まで振る舞って話し込んでしまい、揚げ句に高価で不要な物品が、家の片隅でホコリを被るはめになる―というようなことがよくありました。
 たいていは父親に相談なしでしたので、母親はよく小言を食らっていました。
 オルガンしかり編機しかり新式のジューサーしかり。
(後年になってもその癖は治らなかったらしく、実家には羽毛布団や電動ベッドが、未使用のまま置いてありました)

 書籍の訪問販売というのもあって、図鑑やら百科事典やら全集本など、普段ならねだっても買ってもらえないような書籍を、母親は「ついつい」購入してくれるので、本好きの私にとっては、実にありがたかったです。

 あかね書房の『国際児童文学賞全集』もその伝で、子供部屋の本棚に並ぶことになったわけです。
 確か第1期12巻が出揃った所でまとめて購入し、その後第2期12巻が毎月1冊ずつ届けられた-と記憶します。
 24冊が本棚に並ぶさまは壮観でしたが、高校にあがる頃には、ひととおり読んで面白かったものだけを数冊残し、あとは廃品回収に回ったようです。(いま考えると、惜しい、のひと言に尽きますが)

「五次元世界のぼうけん」はその中でも繰り返し読んだ、お気に入りの一冊でした。

 主人公のメグは、不器量で短気で反抗的な、魅力に乏しい落ちこぼれ少女です。
 ただし物理学者の両親の血を受け継いだか、物理や数学の学力は天才的。5の平方根や7の平方根の、小数点以下をスラスラ唱えられます。

 突然行方をくらました父親を捜すため、彼女は弟のチャールズ(人の心を読む能力があります)、年長の高校生カルビン(霊感能力を有するスポーツマン)とともに、遥か彼方の天体に旅立つ―というお話。

 彼らに加勢するのがワトシット夫人、フー夫人、ウィッチ夫人という魔法使いめいた老女三人。
 原著ではMrs. Whatsit、Mrs. Who、Mrs. Whichとなっているらしく、なかなか意味深なネーミングです。

 もちろん少年少女たちの愛と勇気を謳い上げる、とてつもなく壮大な物語なのですが、作品全体に暗くて不穏な雰囲気がまとわりつき、痛快な冒険活劇とは異なる、何か深遠で哲学的なテーマの物語-という印象のほうが強く残ります。

 また作中には、絶対温度零度とかアインシュタインの原理とかユークリッド幾何学とかいった、物理用語や数学用語が頻出します。
 ビッグバンやブラックホールといった用語は出ないものの、それらのメタファーのような事象も説明されたりして・・・

 理解できないながらも、高級で難解な概念にちょこっと触れているぞ―との感慨を抱きながら、読み進めた気がします。
 まあこれを読んで、理科や算数の成績が上がったわけではありませんが。

 で、彼らが何光年も離れた天体に赴く方法が、五次元運動と呼ばれるもの。(原題のA Wrinkle in Timeつまり「時間の皺」=「時空の歪み」を利用した時空ジャンプのこと・・・たぶん)
 これをウィッチ夫人だかがメグたちに、一次元とは、二次元とは、三次元とは、四次元とは・・・と説き起こしながら説明する場面がありました。

 私はそのくだりをすっかり覚えて、教室で何人かの級友をつかまえては「次元とは?」について、得々と弁舌を揮ったことがあります。
「じゃ五次元てなんだよ」と聞かれれば、これはしたりとばかりに(あるいは説明に窮し)、私は両の手のひらをパンと叩いて、「これだ」と答えた記憶があります。(時空ジャンプというのを、手振りで表現したつもり)
 なんだか自分でもよく分らなかったのですが、無理やりそれで相手を納得させた気になったものです。(ヤな小学生だな)
 物語の筋よりも、こんなことばかり思い出されます。

 なお昨年(2018年)には何とこの小説が、ディズニー映画で実写化されたそうです。(実写といっても、大部分がCG合成なのでしょうが・・・)
 日本ではこの翻訳本が出て以降、復刊されたり版を変えて出版された形跡がなく、作者マデレイン・ラングルの名も含め、知名度は極めて低いものと思われますが、本国のアメリカではいまだ根強い人気を誇る作品のようです。
 日本での公開は未定とのこと。

 ともあれ、小学校時代に読んだSFでは、この「五次元世界のぼうけん」が、最も記憶に残る作品となりました。

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2018年12月10日

120字の読み物世界No.12~ロバート・シェクリイ 「ひる」

 著者:ロバート・シェクリイ 訳者:宇野利泰
 原題:The Leech
 異色作家短篇集(新装版)9「無限がいっぱい」(早川書房 2006年5月 初版)より

空から飛来した“ひる”の胞子は、ちっぽけな塊だった。だが日増しに膨れ上がり、たちまち直径数㎞に。軍隊はやみくもに火器攻撃を浴びせるも、かえって“ひる”の膨張に拍車はかかる!なぜなら“ひる”の栄養源は・・・ やがて地球を呑みこむほどに巨大化する、宇宙ひるの成長記!!

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 私が初めて買ったハヤカワSFシリーズは、グロフ・コンクリン編「宇宙恐怖物語」―確か中学1年の夏のことでした。
 小・中・高と、例年夏休みになると数冊の本を携え、信州にある祖父母の家や従兄弟の家に数日間ずつ居候しながら、読書三昧に耽る慣わしで、中一の夏は「宇宙恐怖物語」での暑気払いとなりました。
 そのなかの一篇が、ロバート・シェクリイの「ひる」です。

 この本には他にも、レイ・ブラッドベリ、リチャード・マティスン、シオドア・スタージョン、アイザック・アシモフ、フィリップ・K・ディック、ロバート・A・ハインライン、フレドリック・ブラウン・・・錚々たる作家の傑作短篇がぎっしり詰まり、SF初心者には格好の入門書でした。
 これを皮切りに、同じシリーズの「刺青の男」(ブラッドベリ)、「動乱2100」(ハインライン)、「鋼鉄都市」(アシモフ)、「発狂した宇宙」(ブラウン)、「海竜めざめる」「さなぎ」(ウィンダム)・・・
 新設されて間もない創元推理文庫SF部門の「マラコット深海」(コナン・ドイル)、「透明人間」(ウェルズ)、「宇宙船ビーグル号の冒険」「イシャーの武器店」(ヴァン・ヴォークト)、「トリフィド時代」「時間の種」(ウィンダム)など・・・
 海外ミステリと並行して、海外SFの領域にも大きくのめりこんで行く破目になりました。
 こうして思い出せるものを挙げていくと、当時は英国の渋めの作家、ジョン・ウィンダムがお気に入りだったのかなと思います。

 その大事にしていたはずの「宇宙恐怖物語」ですが、人に貸したままになったのか、早まって古本屋にでも売り払ったのか、いつの間にか私の本棚から消えていました。

 ですから上掲の「無限がいっぱい」で「ひる」を読み返したのは、初読から何十年ぶりということになります。
 さすがにそのブランク中に、いくつもの類話に接してきた分、恐怖物語というより気宇壮大なホラ話、オチも使い古された常套手段・・・の感は否めませんでしたが、「ひる」こそがそれらの原点であることを考えれば、古典SFとして歴史的価値の高い作品だと思います。
 
 初読時に気づかなかったものの、SFファンの間では有名だったのが、『ウルトラQ』の「バルンガ」との類似性。もちろん「ひる」のアイデアを元ネタにして、あの風船怪獣を造形したものです。

 バルンガは空中に悠然と浮いているだけで、その巨大さゆえ空を仰げば必ずその不細工な姿が視界に入ってしまう邪魔っけさはありますが、人々に直接的な危害を加えるものではありません。(まあ、近くを飛行する航空機などは墜落してしまいますが)
 片やこちらの“ひる”は、地上に腰を据えたまま巨大化していく怪物。周囲の町やら人やらをどんどん押し潰し、しまいには地球を呑みこんでしまう勢いです。人類存亡の危機となるわけですから、人間も必死です。最終的にすごい作戦を捻くりだして、“ひる”を大気圏外におびき出すことに成功するのですが・・・
 結末の不気味さから言えば、石坂浩二の予言めいたナレーションが締めくくる、『ウルトラQ』に軍配が上がるでしょうか。

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2018年12月01日

120字の読み物世界No.11~ウィリアム・アイリッシュその3 「恐怖の黒いカーテン」

 著者:ウィリアム・アイリッシュ 訳者:福島正実
 原題:The Black Curtain(米国1941年)
 少年少女世界推理文学全集NO.9「アリスが消えた/恐怖の黒いカーテン」(あかね書房 1967年6月第8刷)より

記憶喪失から回復したとき、彼は記憶に3年間の空白があることを知った。どこで何をしていたのか?自分につきまとう不審な影に怯えつつ、過去を知る少年と出会い、ついに知る。彼は恩人殺しの重罪を犯していたのだ!身の潔白を証明すべく、彼と少年は現場へと立ち戻る・・・


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 小学校4年のとき、私が最初に読んだミステリ本がこれでした。ホームズよりもルパンよりも少年探偵団よりも先に、この本を手に取ったのです。
 最初に何を読んだかで、その後の読書傾向が決められてしまう・・・というのを、身を以て証明するような出会いでした。以後くされ縁のように、ウールリッチ=アイリッシュの作品とつき合うことになったのです。

『少年少女世界推理文学全集』版と『創元推理文庫』版(書名は「黒いカーテン」)とでは、登場人物の扱いなどがいくつか異なっています。
 主人公フランク・タウンゼンドが記憶喪失から回復して自分の家を訪ねると待っていたのは、少年少女版では妹、創元版では妻になっています。
 記憶喪失時代に仲が良かったのは、前者では少年で、後者では愛人。終り近くで、少年は真犯人に怪我を負わせられるだけですが、愛人は命を落としてしまいます。
 もちろん創元版がオリジナルに近いことは言うまでもありませんが、年少者への配慮もあって、少年少女版では改変が加えられたのでしょう。
 サスペンス感の横溢する作品ですが、本格ミステリばりのトリックも仕掛けられています。M・D・ポーストやモーリス・ルブラン、江戸川乱歩などにも作例がある、太陽光を利用した発火のトリックと、チェスタトンばり(でもないか)の、目撃者の思い違いを利用して誤った嫌疑に誘導するトリックと。
 少年少女版では、その部分をあっさりと流しているので気づかなかったのですが、文庫版で読み返してみて初めて判りました。
 書影は数十年ぶりに古書店で再会して入手した所持本です。

この本には「アリスが消えた」という作品も収められています。
世界推理文学09-3.jpg


 原題:All at Once, No Alice(1940年)
 この作品こそ私にとって初めてのミステリ、初めてのアイリッシュでした。題名がまた、簡潔にして要を得たもので、みごとですね。
 以前の記事でも何度か取り上げました。
 「最初の一冊はこれ、アイリッシュの「恐怖の黒いカーテン」 あかね書房『少年少女世界推理文学全集』=その2」・・・「アリスが消えた」の内容に若干触れています。
「蛇足:映画と原作~ヒッチコック その10」・・・「貴婦人失踪テーマ」のミステリについての言及ですが、この作品も含まれます。
 従ってこれ以上繰り返しませんが、この作品を小学校の図書室から借りて読んだときのあの興奮は、いまだに忘れられません。
 なお、創元推理文庫版「アイリッシュ短篇集2 死の第三ラウンド」では「消えた花嫁」の題になっています。
posted by Pendako at 11:16| Comment(0) | 120字の読み物世界 | 更新情報をチェックする
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