2020年05月18日

120字の読み物世界No.25~ふるさと文学館その5 吉川英治「恋山彦」(その4)

 物語が中段に差しかかったところ―
 中仙道の上松宿で、こんな会話が出てきます。お品を追う勘太郎が、宿場のある女房から、その行方を聞き出す場面です。
「虚空蔵山たあ、どの辺ですか」
「飯田街道から風越山をこえるか、夏ならば、念丈ヶ嶽の沢を辿って、伊那へ下る方角でございます」
「たいへんな山でございますな」
「山も山も、虚空蔵山といえば、滅多に、人も通らず、御領主の検見役人でも、足を踏み入れたことがない深山でございます」

風越山と虚空蔵山.jpg

※峰が重なっていますが、手前が虚空蔵山、後ろが風越山。前々回に貼った絵図と、同じ方角からの眺め。

 またこんな描写もあります。勘太郎を捩じ上げて、お品の居所を聞き出した市橋釆女と藍田喬助が、いよいよ虚空蔵山を目指す場面です。
 春空の晴れを見込んで身支度を固め、伊那山地へ分け入った。
 駒ヶ嶽の肩先が、澄んだ青空の一方に絶えず見えていた。三又山と木曽嶽の尾根を四里ほどゆくと、そこは大平峠の高原で、春はまだ浅く、木々は芽もまだほのかで、鵯、駒鳥、山燕などが群をなして飛び交っている。

 少し前のブログ記事(ふるさと再訪~いろりの里・大平宿その4)で、大平宿を訪れた文人のひとりに吉川英治がいた、と記したように、「恋山彦」はその旅での見聞をこの作品に活かそうとしたのでしょう。

 上の引用文にあるなかで、上松、虚空蔵山、飯田街道(大平街道)、風越山、念丈ヶ嶽(念丈岳)、伊那、駒ヶ嶽(木曽駒ヶ岳)、大平峠は、現在でも確認できる実在の地名です。

 伊那山地は、おそらく「伊那谷を囲む山地」という意味で便宜的に使われたもので、ここでは木曽山脈の南部あたりを指すと思われます。(固有名詞としての伊那山地は別にあり、木曽山脈とは天竜川を挟んだ反対側に連なる山並を言います。最高峰は1,890mの鬼面山)

 三又山と木曽嶽については、地図上では確認できませんでした。(対象となる山域に、南木曽岳という山はあります)

 このふたつを除いて、引用文にある地名を、実際の地形に当てはめてみると、相対的な位置関係はほぼ合致する気がしますが、若干腑に落ちないところもあります。
 
 中仙道上松宿(現・長野県木曽郡上松町)は、木曽山脈北部の主峰、木曽駒ヶ岳(2,956m)のほぼ真西の麓にあります。

 引用文では、上松宿から虚空蔵山への道筋について、
 ①大平街道から風越山を越える
 ②念丈ヶ嶽の沢を辿って、伊那へ下る
と、ふた通りが示されます。

 それぞれの詳しい道のりを推測すると、上松宿を起点に中仙道を南下し、
 ①妻籠宿から大平街道を辿って、大平峠を越える。
 ②須原宿あたりから越百(こすも)川を遡上し、念丈岳近くの主稜線に出たら南に折れ、大平峠に至る。

 あとは①②ともに、大平峠を伊那谷側に下る途中で風越山を乗り越えて、虚空蔵山に至る―となります。

 いや、この②のルートは、夏であっても厳しいと思います。

 念丈岳へは、現在は伊那谷側からの登山道であればわりと整備されているそうですが、木曽谷側からの登山道はありません。当時もなかったでしょう。
 だからこそ「沢を辿って」登るのですが、平坦な河原ではありません。渡渉や滝登りも伴います。さらに主稜線に出たら、奥念丈岳、安平路山(あんぺいじやま)、摺古木山(すりこぎやま)といった2,000m超級の山々を縦走することになります。
 サンカやマタギなどの山の民ならいざ知らず、江戸の侍風情が簡単に踏破できるルートとは思えません。
 しかしどうやら、市橋釆女と藍田喬之助のふたりは、②のほうを歩いたらしい。

 おそらく吉川英治は、虚空蔵山が下界の人びとの入山を拒む天然の要害、といったイメージを強調したかったのでしょう。
 道なき道を歩き、川を遡上し、崖を攀じ登り、峻険な稜線を辿り、激しく起伏する山並みを越え、ようやくたどり着くことができる仙境の地・・・
 それでこそ虚空蔵山一帯は、平氏の生き残りが世間と隔絶しながら、数百年間暮らすことができた場所、という設定が成立するのです。
 またふたりの侍の、お品を追い求める執念の凄まじさも、強く印象づけられます。

 そうして大平峠の高原まで来たところで、ふたりは風穴村という部落に出て、情報収集のため、しばし腰を落ち着かせます。
 この風穴村こそが、作者も訪れた大平宿になぞらえているような気がします。
 付近にはほかにも幾つか集落があるとされ、相互の距離感からすると、広大な山域を思わせる―というところにも、作者の意図が窺えます。

 奥深い山のさらに向うには、見知らぬ世界がある。
 木曽谷側から見れば、そういう設定も不自然ではないのですが・・・

 前掲の写真を見ればお分かりのように、虚空蔵山は伊那谷側の飯田から眺めると、木曽山脈の前衛的な山である風越山(1,535m)の、さらに手前に張り出した山です。
 標高は1,130m、かつては頂上にお堂があり、虚空蔵菩薩が祀られていた信仰の山です。
 見晴らしがよく、四季折々の表情も豊かなので、現在は恰好のハイキングコースになっている里山です。
 飯田市内の小学校では、以前は必ず遠足で風越山に登っていたらしいのですが、それでは少しきついため、最近では虚空蔵山を目的地にすることが多くなっているのだそうです。
 う~ん、遠足でも行ける仙境の地って、いったい・・・?
 
 もっと奥深い山、例えば木曽山脈の中で考えるなら、現在も登山者の数が少ない空木岳(うつぎだけ)、越百山(こすもやま)、念丈岳などの麓あたりが仙境の地、平家の落人村にふさわしいような気がします。
 しかし吉川英治が地理的な考証を怠った、というわけでは決してないと思われます。舞台の選定には十分留意したうえで、

 自分が訪れたことのある、大平宿近辺に舞台を求めたこと。

 虚空蔵山という語感と、仙境の地のイメージとが合致すること。

 伊那谷(の南部)には多くの落人が流れて来て土着した、という史実があることから、平家の残党がそこに落ち延びたという架空の設定も、リアリティを有すること。

 おそらくはそんな理由から、虚空蔵山を舞台に選んだものと推測します。

 蛇足ながら、先に記したとおり風越山(かざこしやま または ふうえつさん)は、木曽山脈から東に張り出した山です。
 実はもうひとつ、木曽上松宿のすぐ近くにも風越山(かざこしやま 1,699m)があります。こちらは木曽山脈から西側に張り出した前衛の山です。

 ですから私はてっきり―というか、何かにつけ異説を捻くり出すいつもの癖で、

 吉川英治は上松宿に近いほうの風越山の向う側に、架空の虚空蔵山を創作したのではないか?

 そう邪推しても見ました。
 地理的な整合が取れず、この仮説はすぐにボツにしましたが、おそらくは全国でふたつだけの風越山が、木曽山脈の北部と南部、木曽谷側と伊那谷側にあるというのも、面白いですね。

 それはともかく、飯田市は虚空蔵山の山頂に、吉川英治「恋山彦」の文学碑でも建てられたいかがでしょうか。
 元市民からの提案です。(ふるさと納税、させていただきますよ)

(おしまい)
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2020年05月17日

120字の読み物世界No.24~ふるさと文学館その5 吉川英治「恋山彦」(その3)

 吉川英治「恋山彦」は、映画「キング・コング」を翻案した小説である―という言説は、映画通や時代小説通のあいだでは、割りと知られているようです。
 でも「翻案」―とまで言い切れるかどうか、私としては疑問です。

「翻案」とは、「前にだれかが成した作品の大筋をまね、細かい点を造り変えること。特に小説・戯曲などについて言う」―などとあります。
 テーマやストーリーはほぼ原作に即し、時代背景や舞台、人物名や地名、風物・習慣などは、日本の読者が馴染深い表現や表記に置き換えていくやり方です。
 
 明治時代、黒岩涙香などが盛んに欧米の小説を翻案し、日本の大衆文芸発展に大きく寄与しました。
 黒岩涙香では、「レ・ミゼラブル」の翻案「噫無情(あゝ無情)」、「モンテ・クリスト伯」の翻案「巌窟王」などが有名ですね。
 尾崎紅葉の「金色夜叉」も、三遊亭圓朝の「牡丹灯籠」もそうです。三津木春影「探偵奇譚呉田博士」には、シャーロック・ホームズの翻案が含まれます。
 ある意味、この時期に海外の作品を日本に移植した文芸作品は、押しなべて翻案小説だ―といっても過言ではないような気がします。
 原作のストーリーを削ったり付加したり改変したりして、原形をとどめないような「翻案」もあって、明確な線引きは難しいのですが、一応先の定義に沿って「キング・コング」と「恋山彦」を見てみると―

「キング・コング」は、滅び行く太古の怪物の、現代文明への報復―というのが、ひとつのテーマになっているかと思われます。
「恋山彦」も、滅亡した平家の末裔が、爛熟し頽廃した元禄期の江戸を蹂躙する、一種の文明批判になっています。

「キング・コング」の登場人物やいくつかのモチーフなども、形を変えて「恋山彦」に出てきます。
 体長15mの巨猿キングコングは、「身の丈六尺」(約1.8m!)の超人・伊那小源太に。
 キングコングの生贄にされる女優の卵アンは、伊那一族の人身御供となる妙齢の美女お品に。
キング・コング(1933年).jpg

※「キング・コング」(米 1933年)

 髑髏島の太古の密林は、伊那山中虚空蔵山の仙境に。
 恐竜やキングコングに襲われて命からがら逃げる救援隊は、伊那一族の急襲で血塗れになって退却する飯田藩の侍たちに。
 大劇場でキングコングが突如暴れだす姿は、江戸城で憤怒を爆発させる小源太の姿に。
 ニューヨークの街を手当たり次第に破壊するさまは、江戸市中に現れて破壊や殺戮を繰り返すさまに。
 アンを攫ってエンパイアステートビルを登る構図は、おさめを抱えて六義園嘯雲閣を登る構図に。

 ところが、テーマに共通性があったり、似かよった趣向が断片的に散りばめられてはいるものの、「恋山彦」が「キング・コング」のストーリーラインをなぞっているわけではありません。

 吉川英治自身、昭和8年(1933年)に公開されたこの映画にヒントを得て、さっそく翌年に「恋山彦」を執筆した―というような文章を残しています。
 おそらく深い影響を受け、多大なインスピレーションを得ながら執筆したのでしょうが、物語の構成はまったくの別物―前回と前々回で両者のあらすじを記しました―吉川英治のオリジナリティが存分に活かされた小説だと、私は思います。

 ところで日本での「キング・コング」の影響は、吉川英治だけに留まらなかったようです。
「キング・コング」が日本で公開された翌月には、すでに斎藤寅次郎監督の「和製キング・コング」(松竹蒲田 1933年)が公開された―という冗談のような話もあります。短篇の喜劇映画だったそうで、これぞ便乗商法の鑑!

 さらにその5年後には熊谷草弥監督「江戸に現れたキングコング」(全勝キネマ 1938年)という作品が公開されたそうです。
「江戸に現れたキングコング」(1938年).jpg

※「江戸に現れたキングコング」(全勝キネマ 1938年)
おお、キングコングの造形が、まるで並木鏡太郎監督「花嫁吸血魔」(1960年 新東宝)のようではないか!

 江戸を舞台に、怪猿の登場する時代活劇―という内容で、もしかして吉川英治が本気で「キング・コング」を翻案したら、こんなふうになっていたかも、と思わせます(―なわけないか)。
 登場する怪猿も巨大モンスターではなくて、おそらくは身の丈6尺ほど―伊那小源太程度の大きさということですし。
 フィルムが現存していないので、確かめようがありませんが。

 ちなみに全勝キネマというのは、戦前に奈良にあった映画会社で、もっぱら時代劇(それも、すでにトーキーの時代であっても無声映画)中心に製作されたようです。
 フィルモグラフィーを覗くと、「怪童三銃士」とか「肉弾鉄仮面」とか「巌窟王ターザン」とか、翻案臭漂うタイトルが並んでいます。

「恋山彦」のほうに話を戻すと、この小説を原作として二度に渡って映画化されています。
 「戀山彦 風雲の巻」および「戀山彦 怒濤の巻」(日活1937年)
 「恋山彦」(東映 1959年)
 いずれも監督はマキノ正博、伊那小源太役は前者が坂東妻三郎、後者が大川橋蔵、お品役は前者が花柳小菊、後者が大川恵子。
恋山彦(映画ポスター).jpg

※「恋山彦」(東映京都 1959年)

 私はどちらも未見なので何とも言えないのですが、作品紹介などを見ると、小説の前段部分はカットされ、小説にないキャラクターが登場するなど、かなり原作を改変した造りになっているような気がします。
「キング・コング」の面影は・・・まず微塵にもないでしょうね。

(さらに続く)
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2020年05月14日

120字の読み物世界No.23~ふるさと文学館その5 吉川英治「恋山彦」(その2)

(承前)
江戸時代に描かれた風越山・虚空蔵山.jpg

※江戸時代に描かれた絵図。手前が虚空蔵山(こくぞうさん)、後ろは風越山(かざこしやま)



 「恋山彦」のあらすじ、中段は―
 信州・伊那山中での、平氏の末裔・伊那一族と飯田藩との、武力と知謀を尽くした攻防が描かれます。

 市橋釆女と藍田喬助は、お品の居所を中仙道上松宿に探り当てるが、その姿はすでにない。お品は伊那山中の虚空蔵山に隠れ籠もり、三弦の真髄を極める修業にあった。
 ふたりは執拗に追い求め、土地の者も畏れる「山神」の神域に踏み込む。だがふたりが目にしたのは、武士の一団が血塗れとなって退却する、凄惨な光景だった。
 飯田藩主の若殿・堀鶴之丞と、その家臣たちだった。柳沢吉保より檜材上納の命を受け、その検見にと神域に踏み込み、何者かに襲われたのだ。
 「山彦」を狙うふたり、檜材を狙う鶴之丞、いずれもその背後には柳沢吉保がいる。両者は手を結ぶ。
 飯田藩の人海戦術で、ついにお品は捕えられ、「山彦」は釆女の手に落ちた。さらに鶴之丞は「山神」討伐のため手筈を整え、近くの部落に駐屯した。
 折しもその部落では、若い娘を「山神」に捧げる、年に一度の儀式が行われる。邪な思惑から釆女は、白羽の矢の立った娘とお品とをすり替える。
 人身御供となったお品の前に現れたのは「山神」ならぬ、身の丈六尺、怪力無双の大男・伊那小源太だった。
 お品は「一心不退転」の短刀で抵抗するも、小源太に軽々と担ぎ上げられ、神域の奥へ連れ去られる。
 小源太は、壇ノ浦に滅んだ平氏一門の生き残り、伊那一族の末裔だった。一族は後鳥羽院の勅文により、彼らの所領とお墨付きを下された虚空蔵山中に逃げ延びて、時代の変遷とは無縁の仙境の地で、数百年暮らしてきた。
 その平家村が、新たな花嫁を迎え入れたのだ。
 「一心不退転」の短剣が、平家ゆかりの鎧貫刀(よろいどおし)と分り、なおさらお品は小源太の嫁に相応しく思われる。
 お品は怯え慄くも、野性と優雅を兼ね備えた小源太に、しだいに魅かれていくのだった。
 だが祝言の日、鉄砲隊擁する飯田藩の軍勢が攻め寄せる。
 近代兵器勝つか、地の利を生かした平家軍勝つか・・・大攻防戦の末、平家軍の知略が優った。飯田勢は壊滅し、鶴之丞は囚われた。
 やがて平家村に江戸幕府の使者が来る。携えた文書には「虚空蔵山一帯は未来永劫平家村の所領とする代わりに、鶴之丞を解放し、御勅文を差し出し、村の代表が将軍に拝謁せよ」とある。
 一族は熟議を重ね、これを承諾した。小源太は御勅文を懐に、江戸を知るお品を伴に、鶴之丞の先導で江戸に発つ―

 読む側はこれには、柳沢吉保の謀略が絡んでいると知らされているため、ハラハラしながら次なる舞台、江戸へと導かれます。

 さて後段は―
 江戸城や江戸市中での、憤怒を滾らせた超人、伊那小源太の大暴れぶりが描かれます。

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2020年05月11日

120字の読み物世界No.22~ふるさと文学館その5 吉川英治「恋山彦」

 著者:吉川英治
 吉川英治文庫36「恋山彦」(講談社 1971年2月第1刷)より

吉川英治文庫「恋山彦」.jpg


ときは元禄―父の形見なる三弦の名器・山彦を守り、お品は逃げる!逃げる!また逃げる!追うは山彦を付け狙う武士ふたりと、お品に狂恋する荒くれたち。隠れ籠もった伊那山中での安息も束の間、人身御供となった彼女の前に現れた伊那小源太は、神か人か魔か?敵か味方か?

 昭和9年(1934年)1月~翌年3月、講談社の代表的雑誌『キング』に連載された伝奇時代長篇小説。

 私の青少年時代に、吉川英治の作品をさほど読んだわけではありません。父親の本棚に「三国志」「新・水滸伝」があって、これらを中学か高校のときに読んだきり。(おぼろげな記憶ながら「新書太閤記」も読んだような気が・・・)
 ただしいずれも大長篇なので、冊数から言えばかなりの分量ではあります。
 無類に面白かった、だけど癖になるほどの面白さではなかった―そんな感じでした。

 後年になって「恋山彦」を読むきっかけになったのは、この作品はある古典的傑作映画の翻案だ―というような趣旨の文章を、何かの本で読んだからです。
「ある古典的傑作映画」というのが、実に意外なことに、怪獣映画の原点ともなった「キング・コング」(米 1933年)なのです。

 私が初めてこの映画を観たときの驚嘆―という話も含め、別稿を起こす予定なので詳細は省きますが、「キング・コング」が後世に残した影響力は映画界に留まらず、日本の大衆文芸にまで及んでいたか・・・と、大いに興味をそそられたのです。

 絶海の孤島で、原住民から魔神の如く畏れられる巨猿。
 その生贄に捧げられた白人娘を追って、森の奥に分け入った救援隊の眼前には、太古の恐竜が跋扈する秘境が広がっていた。
 多大な犠牲を出しながら娘を救出した一行は、その巨猿をも捕まえてニューヨークへと戻る。
 だが見世物に晒された巨猿はカメラのフラッシュに興奮し、鎖を引きちぎって逃げ出すと、市中で驚天動地の大暴れ―
 途中、自分への生贄だった娘をひっさらい、摩天楼を攀じ登る。
 頂上に立つ巨猿に、複葉機の編隊が機銃を浴びせかける。
 娘を守るかのように、手負いの巨猿は上空の敵を威嚇するが、ついに力尽き・・・

 ―というあらすじを日本の時代劇に移植して、どのような換骨脱胎ぶりを見せるのか、吉川英治のお手並み拝見と期待しながら一読しました。
 久しぶりに読む吉川英治は、それこそ癖になりそうな面白さに満ちていました。

 その頃(1980年代前半)はまだ、講談社版『吉川英治文庫』(全161巻)は、新刊書店で手軽に入手できました。
 ところが80年代終わりにすべて絶版となり、装いも新たに『吉川英治歴史時代文庫』(全85巻)が刊行され始めました。

 現在流布しているのは後者ですが、ここに「恋山彦」は含まれません。
 手軽に読める情況ではなさそうなので、どんな話かやや詳しくあらすじを追ってみましょう。
 実はこの稿を起こすにあたって再読したのです。ほとんど内容を忘れていたおかげで、初読のときと同様のワクワク感を味わいました。その感じが少しでも伝われば・・・

 物語は、大きく前段・中段・後段に分けられます。

 まずは前段―
 若く美しい江戸娘・お品の、海路陸路を巡る逃避行が描かれます。

 三弦(三味線)の名手・十寸見(ますみ)源四郎と娘のお品。上方歌舞伎の役者・坂田藤十郎の招きで、不遇を託った江戸を離れ京に暮らす。
 しかし源四郎の持つ三弦の名器「山彦」を、柳沢吉保の寵妾・おさめが狙っていた。息のかかった武士ふたり―市橋釆女と藍田喬助を京に遣わし、「山彦」の収奪を目論む。
 その成り行きで武士たちは、あろうことか源四郎を殺めてしまう。
 悲嘆に暮れるお品を、藤十郎が諭す。父の遺志を継ぎ三弦の道を極めよ―と。お品は藤十郎の恩情に応え、身を潜めて三弦修業に専心することを決意する。
 だが、お品を無事に手引きする役目の男たち―鬘師の伴蔵と大道具の勘太郎が、娘の色香に血迷った。
 貞操の危機にお品は彼らからも身を隠し、女身ひとつで畿内中国四国の、陸路海路を巡る決死の逃避行を続けるはめに。
 それぞれの思惑を秘めたふた組の敵が、入れ替わり立ち代わりお品に襲い来る。
 幾度となく窮地を脱するも、ついにお品は勘太郎の手中に堕ち、ある島に拉致される。
 絶望のあまり自死を選んだお品だが、島で偶然に見つけた錆びた短刀―その刀身に刻まれた「一心不退転」の銘に、お品は鞭打たれるように奮い立つ。
 機転で男に指一本触れさせぬまま、夫婦の成りをしながら逃げる隙を窺う日々。そんな様子を、他の敵どもが嗅ぎつけた。
 姫路城の普請場で、ふた組の敵と城の足軽たちが入り乱れ、いがみ合い騙し合い奪い合いの大混乱。
 その混乱こそお品にとっての僥倖―ひとりまた行方を眩ます。名器「山彦」を携えて・・・

 お品と「山彦」の命運は?

 ―の興味を掻き立てながら、物語は中段に移ります。

(次回に続く)
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2020年04月14日

120字の読み物世界No.21~ふるさと文学館その4 みやじましげる「現代譯 下条物語」

 原著:佐々木喜庵/万木宇平太「下条記」
 著者(現代語訳):みやじましげる
 「現代譯 下条物語」(信州内報社1983年4月初版)より

甲斐より流れ着いた南信濃の地で、下条氏12代200年の歴史は刻まれた。ある時は信玄に恭順し、ある時は信長を迎え撃ち、ある時は家康に靡きつつ乱世を駆け抜けた末に、運つたなく滅亡を迎えた一族の年代記。当時の世情、習俗、異事、雑聞等も数多く付した古文書の、現代語訳。

下条物語.jpg


 南信州に一時代を画した豪族・下条氏―といっても地元の方かよほどの歴史通でない限り、知る人はいないでしょう。
 長野県下伊那郡下條村―私の父親が生まれた地で、私にとっては祖父母の家があった村―の村名は、この下条氏に由来しています。
 下条氏の居城・吉岡城が下條村陽皐(ひさわ)にあったのです。(よく下條と下条は混用されますが、ここでは下條村、下条氏と書き分けます)

 吉岡城址は祖父母の家から、直線距離で200mほどのところにあり、私の幼少時の恰好の遊び場でした。今は見晴らしの良い公園になっていますが、当時は小さな神社があるだけの、薄暗く寂しい森でした。

 下条氏については、断片的ながら父親に聞かされたことがあります。武田信玄や織田信長など戦国時代の大勢力が鬩ぎあう狭間にあって、弱小勢力の下条氏はいくたびも翻弄されながら、ついには命運尽きて滅亡した―そんな話でした。

 また、かつて吉岡城の周りは城下町として賑わっていたことがあると聞いて、びっくりしたことも―
 この辺りに平地などなく、傾斜地に家々が点在する山村風景しか知らなかったからです。
 それ以来城址を訪れるたび、往古の賑わいや、街道を騎馬武者や足軽が駈け抜ける情景を思い描いては、自分なりの戦国絵巻を空想したものです。

 そんな他愛ない空想ではなく、下条氏の興亡が史実に即した形で書物にまとめられていた―と知ったのはずっと後年になってから。
 亡父の蔵書の中に「現代譯 下条物語」を見つけて一読したのです。
 この本の原本が、江戸時代元禄年間(1688年~1704年)の頃に書かれた「下条記」です。

 元禄といえば、生類憐れみの令が発布され世間が大迷惑を蒙っていた、第5代将軍・徳川綱吉の治世。柳沢吉保が権勢を振るい、赤穂事件が世間を揺るがせた頃です。
 井原西鶴、松尾芭蕉、近松門左衛門、菱川師宣、尾形光琳などが活躍し、町人文化が花開いた時代でもあります。

 その町人文化の潮流が、南信州の辺鄙な土地にも及んだのでしょうか。
 現在の行政区域で言えば下條村の南に隣接するのが阿南町―ここに佐々木喜庵という庄屋がおり、万木宇平太という人物の協力を得ながらまとめたのが「下条記」です。
 天正15年(1587年)に下条氏が滅んでから100年以上経っており、生き証人は存命していません。
 二人は先祖から伝え聞いた事柄などを書き留め、諸家に残されていた覚え書きや証文など、神社仏閣にあった氏子や檀家の記録などを集め、下条氏の歴史とその時代に起こったできごとなど、後世に残す作業を始めたのです。

 「いろいろの物のうちたしかでない物を除いて、さんざんに苦労して集置所を設け、二人は世を遁れて、ここに定住して、この物語を書き記すことにした」

 当時の情況としては、できうる限り事実に即して記述しようと苦心したさまが窺えます。
 あまり筆者の感情や思想を交えないで、おおむね時系列に則し、淡々と史実(と思われるできごと)を羅列する―というのが基調となっており、「平家物語」や「太平記」などの文学的興趣や詠嘆調の記述は見あたりません。
 実直な備忘録―とでも言うべき書です。

 それでは読んでみて面白くないか、と言えばそんなことはなく、十分に面白いのです。

 もちろん私が下條村と縁が深い―ということもありますが、それを差し引いても実に興味深い内容だと思います。

 これまで「下条記」は、現代人が読める形で公刊された様子はありませんし、「現代譯 下条物語」も1983年に出版されたきりで、古書でも入手困難な一冊だと思われます。
 したがってこのブログで紹介するのも意味のないことではないと考え、次回少しばかりその内容について言及したいと思います。
ラベル:伊那谷 信州
posted by Pendako at 13:14| Comment(0) | 120字の読み物世界 | 更新情報をチェックする
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