2020年05月18日

120字の読み物世界No.25~ふるさと文学館その5 吉川英治「恋山彦」(その4)

 物語が中段に差しかかったところ―
 中仙道の上松宿で、こんな会話が出てきます。お品を追う勘太郎が、宿場のある女房から、その行方を聞き出す場面です。
「虚空蔵山たあ、どの辺ですか」
「飯田街道から風越山をこえるか、夏ならば、念丈ヶ嶽の沢を辿って、伊那へ下る方角でございます」
「たいへんな山でございますな」
「山も山も、虚空蔵山といえば、滅多に、人も通らず、御領主の検見役人でも、足を踏み入れたことがない深山でございます」

風越山と虚空蔵山.jpg

※峰が重なっていますが、手前が虚空蔵山、後ろが風越山。前々回に貼った絵図と、同じ方角からの眺め。

 またこんな描写もあります。勘太郎を捩じ上げて、お品の居所を聞き出した市橋釆女と藍田喬助が、いよいよ虚空蔵山を目指す場面です。
 春空の晴れを見込んで身支度を固め、伊那山地へ分け入った。
 駒ヶ嶽の肩先が、澄んだ青空の一方に絶えず見えていた。三又山と木曽嶽の尾根を四里ほどゆくと、そこは大平峠の高原で、春はまだ浅く、木々は芽もまだほのかで、鵯、駒鳥、山燕などが群をなして飛び交っている。

 少し前のブログ記事(ふるさと再訪~いろりの里・大平宿その4)で、大平宿を訪れた文人のひとりに吉川英治がいた、と記したように、「恋山彦」はその旅での見聞をこの作品に活かそうとしたのでしょう。

 上の引用文にあるなかで、上松、虚空蔵山、飯田街道(大平街道)、風越山、念丈ヶ嶽(念丈岳)、伊那、駒ヶ嶽(木曽駒ヶ岳)、大平峠は、現在でも確認できる実在の地名です。

 伊那山地は、おそらく「伊那谷を囲む山地」という意味で便宜的に使われたもので、ここでは木曽山脈の南部あたりを指すと思われます。(固有名詞としての伊那山地は別にあり、木曽山脈とは天竜川を挟んだ反対側に連なる山並を言います。最高峰は1,890mの鬼面山)

 三又山と木曽嶽については、地図上では確認できませんでした。(対象となる山域に、南木曽岳という山はあります)

 このふたつを除いて、引用文にある地名を、実際の地形に当てはめてみると、相対的な位置関係はほぼ合致する気がしますが、若干腑に落ちないところもあります。
 
 中仙道上松宿(現・長野県木曽郡上松町)は、木曽山脈北部の主峰、木曽駒ヶ岳(2,956m)のほぼ真西の麓にあります。

 引用文では、上松宿から虚空蔵山への道筋について、
 ①大平街道から風越山を越える
 ②念丈ヶ嶽の沢を辿って、伊那へ下る
と、ふた通りが示されます。

 それぞれの詳しい道のりを推測すると、上松宿を起点に中仙道を南下し、
 ①妻籠宿から大平街道を辿って、大平峠を越える。
 ②須原宿あたりから越百(こすも)川を遡上し、念丈岳近くの主稜線に出たら南に折れ、大平峠に至る。

 あとは①②ともに、大平峠を伊那谷側に下る途中で風越山を乗り越えて、虚空蔵山に至る―となります。

 いや、この②のルートは、夏であっても厳しいと思います。

 念丈岳へは、現在は伊那谷側からの登山道であればわりと整備されているそうですが、木曽谷側からの登山道はありません。当時もなかったでしょう。
 だからこそ「沢を辿って」登るのですが、平坦な河原ではありません。渡渉や滝登りも伴います。さらに主稜線に出たら、奥念丈岳、安平路山(あんぺいじやま)、摺古木山(すりこぎやま)といった2,000m超級の山々を縦走することになります。
 サンカやマタギなどの山の民ならいざ知らず、江戸の侍風情が簡単に踏破できるルートとは思えません。
 しかしどうやら、市橋釆女と藍田喬之助のふたりは、②のほうを歩いたらしい。

 おそらく吉川英治は、虚空蔵山が下界の人びとの入山を拒む天然の要害、といったイメージを強調したかったのでしょう。
 道なき道を歩き、川を遡上し、崖を攀じ登り、峻険な稜線を辿り、激しく起伏する山並みを越え、ようやくたどり着くことができる仙境の地・・・
 それでこそ虚空蔵山一帯は、平氏の生き残りが世間と隔絶しながら、数百年間暮らすことができた場所、という設定が成立するのです。
 またふたりの侍の、お品を追い求める執念の凄まじさも、強く印象づけられます。

 そうして大平峠の高原まで来たところで、ふたりは風穴村という部落に出て、情報収集のため、しばし腰を落ち着かせます。
 この風穴村こそが、作者も訪れた大平宿になぞらえているような気がします。
 付近にはほかにも幾つか集落があるとされ、相互の距離感からすると、広大な山域を思わせる―というところにも、作者の意図が窺えます。

 奥深い山のさらに向うには、見知らぬ世界がある。
 木曽谷側から見れば、そういう設定も不自然ではないのですが・・・

 前掲の写真を見ればお分かりのように、虚空蔵山は伊那谷側の飯田から眺めると、木曽山脈の前衛的な山である風越山(1,535m)の、さらに手前に張り出した山です。
 標高は1,130m、かつては頂上にお堂があり、虚空蔵菩薩が祀られていた信仰の山です。
 見晴らしがよく、四季折々の表情も豊かなので、現在は恰好のハイキングコースになっている里山です。
 飯田市内の小学校では、以前は必ず遠足で風越山に登っていたらしいのですが、それでは少しきついため、最近では虚空蔵山を目的地にすることが多くなっているのだそうです。
 う~ん、遠足でも行ける仙境の地って、いったい・・・?
 
 もっと奥深い山、例えば木曽山脈の中で考えるなら、現在も登山者の数が少ない空木岳(うつぎだけ)、越百山(こすもやま)、念丈岳などの麓あたりが仙境の地、平家の落人村にふさわしいような気がします。
 しかし吉川英治が地理的な考証を怠った、というわけでは決してないと思われます。舞台の選定には十分留意したうえで、

 自分が訪れたことのある、大平宿近辺に舞台を求めたこと。

 虚空蔵山という語感と、仙境の地のイメージとが合致すること。

 伊那谷(の南部)には多くの落人が流れて来て土着した、という史実があることから、平家の残党がそこに落ち延びたという架空の設定も、リアリティを有すること。

 おそらくはそんな理由から、虚空蔵山を舞台に選んだものと推測します。

 蛇足ながら、先に記したとおり風越山(かざこしやま または ふうえつさん)は、木曽山脈から東に張り出した山です。
 実はもうひとつ、木曽上松宿のすぐ近くにも風越山(かざこしやま 1,699m)があります。こちらは木曽山脈から西側に張り出した前衛の山です。

 ですから私はてっきり―というか、何かにつけ異説を捻くり出すいつもの癖で、

 吉川英治は上松宿に近いほうの風越山の向う側に、架空の虚空蔵山を創作したのではないか?

 そう邪推しても見ました。
 地理的な整合が取れず、この仮説はすぐにボツにしましたが、おそらくは全国でふたつだけの風越山が、木曽山脈の北部と南部、木曽谷側と伊那谷側にあるというのも、面白いですね。

 それはともかく、飯田市は虚空蔵山の山頂に、吉川英治「恋山彦」の文学碑でも建てられたいかがでしょうか。
 元市民からの提案です。(ふるさと納税、させていただきますよ)

(おしまい)
posted by Pendako at 22:31| Comment(0) | 120字の読み物世界 | 更新情報をチェックする
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