2019年11月10日

120字の読み物世界No.20~ふるさと文学館その3 井上靖「伊那の白梅」

 著者:井上靖
 カッパ・ブックス「伊那の白梅」(光文社1954年11月初版)より

訪ねてきた少女の顔を見て、彼はすぐさま20年近く昔の、ある女性との記憶を呼び覚ました。伊那谷に白い梅の花が咲く頃、天龍川沿いを列車で下った10日間の旅―名も知れぬ駅々に降り立ち、宿では屈託のない会話を交わす。やがてふたりは求めていた場所―恰好の死地を見いだした・・・

伊那の白梅.jpg


 井上靖の短篇6作品を収めた小説集「伊那の白梅」が、いつどこで私の蔵書に紛れ込んできたのか、判然としません。一読した記憶もない。
 そこで井上靖の小説としては、何十年ぶりかで読んでみました。どれも面白く読みました。

 巻頭に置かれた短篇、「伊那の白梅」のあらすじ―

 画家として名を成し、妻と東京で暮らす九谷のもとに、菅みさ子という画家志望の少女が、予告もなく訪ねてきます。
 みさ子は、かつて彼が信濃の地で、新聞沙汰になるほどの恋愛事件を引き起こした相手、瀬尾きみ子に生き写しでした。

 その二十年近く昔の恋愛事件の顛末が、この物語のミソになります。

 美術学校の学生だった九谷は、旅先の諏訪湖畔で旧家の娘きみ子と知り合い、懇意となります。
 九谷が旅から戻ってからも、ふたりは手紙のやり取りを通じ、また休暇のたびに逢瀬を繰り返すうち、いつしか熱烈な恋人同士に・・・

 ところがあるとききみ子から、別の男と心ならずも結婚することになったとの手紙が届き、九谷は諏訪に駆けつけます。
 しかしなすすべもなく、きみ子は婚礼の日を迎え、彼は失意のまま諏訪湖畔に留まります。

 その翌日―
 久谷の前に、夫のもとを逃げ出したきみ子が姿を現し、「いっしょに逃げて!」と懇願します。
 行くあてもないまま、ふたりは伊那線(伊那電鉄=現・JR飯田線)に乗り込むと、最初の宿を飯田に求めます。

 すでにふたりの心は、死ぬことに決まっていました。
 そして「方々へ泊って、ゆっくり天龍川を下りましょうよ」「いい場所が見つかるまでは急がないことだな」―そんな会話を交わしながら、天龍川に臨む駅々で下車しては、死に場所を吟味する旅が続きます。

 ある駅の横手に咲く梅の花-そこでふたりははじめて、唇を合わせます。

 いつしか鉄路は天龍川から離れ、豊川の上流あたりに差し掛かかります。
 そして、その河床の美しさに心奪われ、「ここに決めた!」となるのですが、思いもよらぬことに・・・。

 「ふしぎな美しい旅行」は終わりました。
 ふたりはそれぞれの生活に戻り、二度と会うこともなく時は流れます。

 九谷は画家となり、咲子という女性を妻に迎えます。
 夫のもとに戻ったきみ子はみさ子を産んで、数年後に亡くなります。
 みさ子は、後添えに入ったぬい子という女性に育てられ、美しく成長します。

 そして義母のぬい子こそが、修学旅行で上京するみさ子に、九谷を訪ねることを強く勧めたのです。
 それはなぜか?

 九谷はいろいろと推測を巡らしますが、ある疑惑が自分の身に降りかかっていることに思い当たります。

 きみ子の夫が抱いた疑惑。
 その後添えとなったぬい子が、夫の素振りから心に巣食わせた疑惑。
 そして九谷の過去を知って、彼の妻咲子さえも抱き始めた疑惑。
 それは等しく、みさ子はきみ子と九谷とが、10日間の旅のあいだに成した子どもではないか―という疑惑です。

 しかし「ただ一かけらの罪の汚れ」のないことは、九谷自身と、今は亡ききみ子だけが知るところ―
 疑惑を払拭するのは、絶望的でした。

 みさ子との初対面から三年後、彼女が天龍峡でスケッチしたいと言っていたのを口実に、九谷はみさ子と義母のぬい子を伴って、二十年ぶりに天龍川沿いを旅することになります。
 あのときと同じ季節―伊那谷のいたるところに白い梅の花が咲いています。
 九谷は、かつてきみ子と降り立った駅を確かめようとしますが、果たせません。

 「また危っかしい崖っぷちに一本の梅の木が、白い花をつけてい」るのを、九谷が無心にみつめるところで、この物語は幕を閉じます。

 ―と、40ページ足らずの短篇のあらすじを、ながなが書き連ねました。

 井上靖の作品としては、あまり重要ではないのかも知れません。
 娯楽系の雑誌に発表(初出は『小説新潮』1953年6月号)された、息抜きのような作品です。
 加えて、あまり知られておらず、(文庫などで)手軽に読める情況ではなさそう―ところが私にとっては、とても面白い作品―だからこそ、やや詳しく紹介してみました。

 この「伊那の白梅」について、もう少しコメントしたいこともあるのですが、続きは日を改めて・・・
posted by Pendako at 14:41| Comment(0) | 120字の読み物世界 | 更新情報をチェックする
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