2019年07月08日

消えた文代さん:乱歩と挿絵画家~番外篇その7

(承前)

 前回の記事で、

  文代さんと小林少年は同一人物である。

との仮説を立てることにより、「小林少年の謎」が解けるだけでなく、ほかにも散見される「不自然な点、不可解な事象」を理解することができると述べました。
 そのうちのいくつかは、すでにこれまでの記事である程度言及してもいるのですが、重複厭わず総まとめ的に説明してみます。

 「不自然な点、不可解な事象」を列挙し、上の仮説にしたがえばそれぞれがどのように理解できるかを記述します。

a) 明智探偵の変心
 「魔術師」(『講談倶楽部』昭和5年1月~12月)の冒頭、明智探偵は骨休み休暇で逗留するS湖畔の温泉宿で、玉村妙子と懇意となり、やがて相互に思いを寄せ始めます。
 ところが玉村家の事件に関わるうち、明智の心は彼女から離れ、厭うようにまでなります。(入れ替わるようにして、文代さんが明智の心を捉えはじめます)
 このあたりの心理的な綾が、作品の中で十分に描ききれていません。なぜ明智が彼女を厭うようになるのか理由が分らず、読んでいるうちは明智の身勝手さばかりが目立つような展開になるのです。

⇒もしこれが当初の構想(明智探偵が思いを寄せる対象が玉村進一少年であり奥村芳雄少年である、という設定)に基づいて執筆されていたなら、もう少し納得のいく展開になったでしょう。
 進一少年を可愛がりながら、次に出会った芳雄少年をも可愛がる―物語の終盤までそんな関係性で進んでも問題ありません。(かえって進一少年の正体が暴かれたときの意外性は、より効果的なものになるでしょう)
 なぜなら、年少者二人に、同時に目を掛けることは、ことさら倫理に反したことではないからです。
 ところが実際には進一少年は妙子に、芳雄少年は文代に取って代えて執筆されています。
 明智探偵が、初めに出会った妙子に思いを寄せ、次に出会った文代にもまた等しく思いを寄せる―というわけにはいきません。名探偵が二股かけた恋愛をすることなど、許されないのです。
 明智探偵が文代と出会ってからは、妙子への思いが醒めていき、やがて厭うようになる―そんな過程を描かざるを得ませんでした。
 構想の改変は急な思い付きでした。したがって、その過程の描写は拙速なものになってしまい、不自然さが目立つことになった・・・そう推測します。


b) 影の薄い進一少年
 「魔術師」には、妙子が弟のように可愛がる、進一という孤児の少年が登場します。
 あえて登場させたからには、物語の本筋に何らか関与してきそうな設定ですが、表舞台では目立った言動もなく、印象の薄い没個性的な少年です。
 終盤になって事件に関わる重大人物であることが判明しますが、それを納得せしめるだけの周到な伏線がないように思われます。
 「ああ、そういうことだったのか」という納得感よりも、「え?そんなのあり?」という強引さが際立つ設定になっています。

⇒物語のなかで、進一少年の影が薄いのは、構想段階で彼のために用意された彼の素性や役割の大半が、実際の作品では玉村妙子に移植されたからにほかなりません。
 芳雄少年の、存在そのものが消え去ったことを思えばまだしもですが、おそらく作者の頭としては、ある意味で無垢な残忍性―とでも言うべき属性まで妙子に負わせるのは気が引け、そこだけを担う存在として進一を物語に残したと思われます。

c) 並行連載のリスク
 「吸血鬼」(『報知新聞夕刊』昭和5年9月~昭和6年3月)の序盤で、明智探偵の助手として文代さんが登場するのですが、同時期に連載中の「魔術師」のほうではまだ、彼女は怪賊・魔術師の娘という設定が生きたままになっています。
 「魔術師」だけを読む読者にとっては、彼女がその後改心して父を裏切り、明智探偵を助力するばかりか、結末に至って彼の助手となる―という展開など思いもよらぬことでした。その意外な展開が、作者の狙いでもあったはずです。
 ところが併せて「吸血鬼」を読む読者にとっては、その展開は意外でもなんでもないものになってしまいます。それどころか、「魔術師」事件の真相を予見しうる手掛りを提示されることにもなってしまいます。
 乱歩はなぜ、展開の意外性という興趣を削ぐような並行連載を行ったのか、釈然としない不自然さを感じます。

⇒乱歩は「魔術師」で、明智探偵と芳雄少年の師弟関係が成立する過程を描くことを断念し、文代さんとの恋愛関係を描くことに専念しました。前回述べたように、明智探偵に男色趣味がある(もしくは作者・乱歩が密かに、この師弟関係において同性愛的な嗜好を充足させようと考えた)ことなど、読者に気取られないためのアリバイ工作を図ったのです。
 これは次なる作品にて、芳雄少年改め小林少年を明智探偵の助手として登場させるための布石でした。
 逆に言えば、「次なる作品」である「吸血鬼」の連載を引き受けた段階で乱歩の頭に閃いた、苦肉の策でした。
 「展開の意外性」は損なわれても、乱歩としては自分の密やかな嗜好の体現者として、いち早く小林少年を作中に登場させてやりたいと考えたのでしょう。 

d) 二人の助手の必要性
 「吸血鬼」で、明智探偵の助手として、文代さんと小林少年、同時に二人登場させる必要性が感じられません。それぞれ助手としての資質が異なっていて、お互いを補完するような役割で活躍する、という設定であればまだしも、文代さんひとり、あるいは小林少年ひとりで十分こと足りるような気がするのですが、どうでしょう。

⇒「魔術師」が当初の構想通り書かれていれば、文代さんはこの作品にも、以降の作品にも登場することはなかった―明智探偵の助手は小林少年ただひとりだったはずです。
 「魔術師」に急遽、文代さんを登場させた行きがかり上、彼女も探偵助手にせざるを得なかった―そんなところでしょう。

e) 小林少年の不明瞭な人物像
 そもそもこれが私の珍説を捻くり出した所以です。
 これまで再三述べたとおり、「吸血鬼」で初登場する小林少年について、その来歴や助手になった経緯などいっさい説明がなく、唐突感が否めません。
 文代さんについては「魔術師」事件をきっかけに助手になった経緯が語られているので、「吸血鬼」でその活躍ぶりを描こうとするのは自然の成り行きですが、小林少年の正体の不明瞭さは解せません。

⇒ここでその理由を、くどくど説明するには及ばないでしょう。
乱歩が「吸血鬼」のなかで、ほんの僅かでも小林少年の素性に関するエピソードなりを挟み込んでいれば、私のような輩に「文代さんと小林少年は同一人物である」などという珍説を以て、因縁をつけられることはなかったと思います。

f) 文代さんの薄れゆく存在感
 文代さんは「魔術師」で明智探偵の窮地を救い、「吸血鬼」で探偵助手として献身的な活躍を見せ、明智夫人となってからは、「人間豹」(『講談倶楽部』昭和9年1月~昭和10年5月)で怪物・人間豹に誘拐され、熊の着ぐるみ姿で本物の虎と対決させられるという絶体絶命の危機にさらされる―と、明智探偵譚のレギュラー・ヒロインとしての役割を果たしたのち、急速にその存在感が失われていきます。
 「人間豹」と並行して、同じ明智探偵譚「黒蜥蜴」(『日の出』昭和9年1月~11月)も執筆されていますが、こちらの作品には、文代さんの影も形もありません。(もっとも明智探偵と女賊・黒蜥蜴との、一種恋愛めいた闘争劇を描く作品なので、文代さんが登場するとややこしくなってしまいますし、小林少年ですら登場しません。このふたりは、この作品のテーマとは相容れない―とも解釈できます)

 「人間豹」の次に文代さん―明智夫人が登場するのは、少年探偵団シリーズ第1作「怪人二十面相」(『少年倶楽部』昭和11年1月~12月)です。
 すでにこの作品では、彼女にかつての探偵助手の面影はありません。不在の明智探偵を代行して、獅子奮迅の活躍を見せる小林少年とは対照的な扱いです。
 続くシリーズ第2作「少年探偵団」(『少年倶楽部』昭和12年1月~12月)においても同じで、文代さんは完全に専業主婦となったかのようです。
 以降も、小林少年の活躍をよそに、文代さんの登場する機会は激減し、揚げ句に―

 「明智夫人は胸を患って、長いあいだ高原療養所に入っている・・・」 「兇器」(『大阪産業経済新聞』昭和29年6月~7月)より

 「明智夫人は高原療養所で病を養っている・・・」 「化人幻戯」(『別冊宝石』および『宝石』昭和29年11月~昭和30年10月)より

 「明智夫人は、長い病気で、ずっと高原療養所にはいっています・・・」 「黄金豹」(『少年クラブ』昭和31年1月~12月)より

と、再三に亘って不在理由の説明があり、そのあとに必ず、明智探偵の身の回りの世話は小林少年が行っている―という記述が添えられます。
 文代さんは専業主婦の立場ですら小林少年に取って代わられ、そのまま作品世界に顔を出すことはなくなってしまうのです。
 実に薄幸な運命を辿るではありませんか。(文代さんファンの私としては、寂しい限り)

⇒そもそも文代さんは、明智探偵の「アリバイ工作」に利用されたに過ぎないから―ということに尽きます。
 乱歩にとって、本音のところでは、明智探偵の助手は小林少年ひとりで十分なのです。文代さんは、明智探偵と小林少年の関係性に、男色趣味の気配を感じさせないために仕込まれた、囮に過ぎませんでした。
 その役割が終われば、作品世界から退場していくのは自然の成り行きだったのです。
 いや、退場ではなく小林少年に同化していった、もしくは回帰したと言ったほうが適切かもしれません。もともと同一人物だったのですから。

 ところで、そんな文代さんの不遇ぶりを不可解に思うのは、私だけではないようです。
 彼女が作品に登場しなくなったのは、病気療養しているから―というのは、不都合な真実を隠蔽するための口実であり、実は「明智探偵との夫婦生活が冷え込んだ末に、文代さんは怪人二十面相のほうに寝返ったのだ」といった類いの説があります。
 たとえば少年探偵団シリーズの一作、「黄金豹」に登場するネコ夫人―ある西洋館で猫に囲まれながら娘と暮らす謎の女性―こそ、元明智夫人であり、いまは怪人二十面相の妻である―とするなど。
 明智の寵愛を一身に受ける小林少年に嫉妬した文代さんが、明智のもとを出奔し、敵役である怪人二十面相に走る―というのは、いかにもあり得そうな説で、それに立脚したスピンオフ作品が書かれても面白そうですね。
ネコ夫人とネコ娘~「黄金豹」より.jpg

  ※元・明智夫人?現・怪人二十面相夫人?
   文:野村宏平 イラスト:永井秀樹 (洋泉社刊「生誕120年 江戸川乱歩の迷宮世界」より)

 さて、以上が、

  文代さんと小林少年は同一人物である。

という珍仮説の検証となります。

 おのれに自信のない人ほど、多言を以て自分の言説を飾り立てる―とでも申しましょうか、6回の長きに亘って贅言を連ねてきましたが、核心を一言で衝くような解は、ついに見いだせなかったようです。
 実は自分でもその仮説が正しいなどと言う確信はなく、実体のないものをいかにそれらしく見せることができるか―そんな思考実験めいた気持ちで起こした論証(のようなもの)です。

 そもそも前提条件として、小林少年と明智探偵とのあいだに、男色趣味の関係性が見え隠れする―という例証を挙げる必要があったでしょうが、そんな視点が抜け落ちています。
 また明智探偵と文代さんの、「擬似恋愛」「偽装結婚」の証拠のようなものが作中に見いだせれば、もう少し説得性のある論になったかもしれません。
 
 ともあれ瑕疵の多い論考となりましたが、とりあえずは前々回記したように、

 これを読んでいただく方に「もしかしたら、そんなこともあったかも知れない」と思っていただければ本望―

 そろそろ「乱歩と挿絵画家」本篇のほうに戻りたいと思います。

(お終い)
posted by Pendako at 11:22| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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