2019年05月27日

明智探偵のアリバイ工作:乱歩と挿絵画家~番外篇その6

(承前)

 乱歩はなぜ、「魔術師」の構想段階と実際の執筆段階とで、登場人物の入れ替え―「玉村進一」を「玉村妙子」に、「芳雄少年」を「文代さん」に―を行ったのか?

魔術師より.jpg

※会津久三・画「魔術師」イメージ
 ~「少年マガジン大図解VOL.3」(講談社 1992年)より


 結論めいたことから先に書いてしまうと、作品の発表舞台が大きく作用したのではないでしょうか。

 ここで昭和4年(1929年)から翌5年にかけての乱歩の執筆状況を、年譜形式でまとめてみましょう。(ただし検証に必要と思われる長篇のみ挙げています。この時期、これらの他に作品はいくつもあることはご承知おきください)

 昭和4年(1929年)
  1月 「孤島の鬼」を『朝日』に連載(~翌年2月)
  8月 「蜘蛛男」♠を『講談倶楽部』に連載(~翌年6月)

 昭和5年(1930年)
  1月 「猟奇の果」♠ を『文藝倶楽部』に連載(~同年12月)
  7月 「魔術師」♠♡ を『講談倶楽部』に連載(~翌年6月)
  9月 「黄金仮面」♠ を『キング』に連載(~翌年10月)
     「吸血鬼」♠♡♣ を『報知新聞夕刊』に連載(~翌年3月)

 なお、作品名のうしろに付した記号で、♠は明智小五郎、♡は文代さん、♣は小林少年が登場することを示します
 また、緑色の太字は博文館の発行する雑誌、茶色の太字は大日本雄瓣會講談社の発行する雑誌であることを示します。

 昭和5年1月から「猟奇の果」の連載が始まり、入れ替わるように2月に「孤島の鬼」が完結、「蜘蛛男」もまた好評のうちに佳境に入ろうとしていました。
 『講談倶楽部』誌上における「蜘蛛男」の次回作、「魔術師」の構想(※)はほぼ固まり、あとは「蜘蛛男」の勢いそのままに、第1回の原稿を書き始めるばかりでした。
 (※)構想段階でのあらすじは、前回の記事「小林少年と文代さん:乱歩と挿絵画家~番外篇その5」で、多分に私の想像を交えて記したとおりです。

 しかし「蜘蛛男」の尻上がりの好調ぶりが、かえって乱歩にある懸念を投げかけることになりました。

 「孤島の鬼」の掲載誌『朝日』は、博文館の雑誌です。
 「魔術師」に先んじて、この年の1月から始まった「猟奇の果」の掲載誌、『文藝倶楽部』もまた博文館の雑誌。

 博文館は江戸川乱歩が作家デビュー以来、数々の傑作をものにした発表舞台、『新青年』の発行元としても有名です。

 博文館には乱歩馴染みの編集者も多く(乱歩を世に送り出した森下雨村、盟友・横溝正史など)、云わば彼のホームグラウンド―彼のわがままが通用する出版社でもありました。

 乱歩の探偵小説家としての特異性は、ここの編集者も読者も了解しており、乱歩趣味(※)の色濃く出た作品であっても、許容される素地がありました。
 したがって『新青年』に発表された「パノラマ島奇譚」、「陰獣」、「押絵と旅する男」などは、乱歩の資質が闊達に花開いた傑作と成り得たのです。
 (※)乱歩趣味・・・小説作品に反映される江戸川乱歩の趣味嗜好。乱歩作品を読み解くキーワードとして、野村宏平「乱歩ワールド大全」(洋泉社 2015年初版)に挙げられた変身願望、隠れ蓑願望と厭人病、胎内願望、覗き趣味、レンズ嗜好、浅草趣味、見世物趣味、ユートピア願望、人形愛、性的倒錯、残虐嗜好、探偵小説趣味、怪奇趣味、自己愛―これらを、勝手に私が「乱歩趣味」と総称して使わせていただいています。

 『新青年』の兄弟誌『朝日』でも同様でした。
 「孤島の鬼」の前半は理知の勝った本格探偵小説、後半は乱歩趣味が遺憾なく発揮された変格探偵小説―両者が見事に融合した大傑作となりました。
 乱歩はここで、フリークス、ボデイモディフィケーション、ボーイズラブなど、一般の読者なら顔を顰めそうな題材も、自在に散りばめることができたのです。

 特に、孤島の探索行に乗り出した主人公・蓑浦と、彼に同道する友人・諸戸の禁断の恋は、ここの読者であれば、許容される範囲での趣向でした。
 ただし用心深い乱歩は、その同性愛を、社会倫理に反さない範囲で穏当に扱ったため、もっとその様態を伸びやかに描きたいと希求するようになった―という話は、前々回「「孤島の鬼」の同性愛趣味:乱歩と挿絵画家~番外篇その4」に述べたとおりです。

 探偵小説史の観点から見れば博文館が、探偵小説の発展や興隆に、特筆すべき貢献を果たした出版社だったことは、間違いありません。

 しかしその博文館が、読者層、執筆陣、刊行点数、発行部数など総合力において足元にも及ばなかったのが、「蜘蛛男」を連載した『講談倶楽部』の発行元、大日本雄瓣會講談社(以下、「講談社」と表記します)です。
 「面白くて為になる」をモットーに、数多の雑誌で広範な読者層や大発行部数を獲得してきた出版社。
 その雑誌のひとつに連載を持つことは、小説家として確固たるステイタスを築いたことを意味します。

 乱歩は「自分の小説は、ここの読者には受け入れられない」との思いがあってか、講談社からの執筆依頼を何度も断わってきたのですが、ついに編集者に口説き落されて「蜘蛛男」の筆を執った―といういきさつがあります。

 しかし乱歩の杞憂をよそに、講談社での初の連載「蜘蛛男」は大好評を博したのです。
 乱歩は講談社の読者層を大いに意識して、知的探究心を満足させるだけの本格探偵小説でもなく、猟奇耽異の欲求を充足させるためだけの変格探偵小説でもない、大衆受けする冒険活劇的要素を多分に含み、明智探偵を久々に登場させることにより、勧善懲悪的な結構を持った作品を提供した―その結果だと言えます。

 それがかえって、乱歩の足枷となったのではないでしょうか。
 のちに乱歩自身「虚名大いにあがる」と自虐的に回顧するように、探偵小説家としては決して本懐ではない、通俗的な作品を量産する宿命を負ったのです。

 つまりは博文館の雑誌では許されたわがまま(乱歩趣味に淫した作品の執筆)が、ここでは許されなくなったわけです。
 次作の「魔術師」ではさらに、広範な読者層に訴えるような、健全な娯楽性が求められるだろう・・・

 そんな思いから、ある懸念が生じたと想像します。

 「孤島の鬼」完結後に思い描いていた趣向―「魔術師」で明智探偵とその愛らしい探偵助手のコンビを誕生させるべくサブストーリーを用意し、その愛弟子となる少年の人物像―生立ち、来歴、境遇、役割などを念入りに設定したうえで、作品全体の構想を練り上げたものの・・・乱歩は、はたと考え込みました。

 作中に、同性愛の雰囲気が少しでも漂うことになれば、「老若男女」の読者たちは眉を顰めるのではないだろうか。

 明智小五郎の探偵業の伴侶として、年少の助手を登場させたい―しかし読者に、その裏に潜む同性愛的な関係性を、仄めかすことは許されない。

 さてどうしたものやら―

 そんな逡巡に、書き出しから「魔術師」の執筆が滞るうち、新たな原稿の注文が乱歩のもとに届きます。

 まず講談社―『講談倶楽部』よりさらに読者層が広範で発行部数も多い、日本一の雑誌『キング』からの依頼でした。

 『講談倶楽部』での手ごたえが、自信にもなっていたでしょう。
 自分の趣味嗜好に淫することなく、痛快明朗な娯楽読物を指向すれば、発行部数数百万と言われる『キング』の読者にも、自分の小説は受ける!

 乱歩は『キング』からの注文に、怪人対名探偵の構図で展開する、怪盗ルパン風(!!)の冒険活劇譚で応えよう―まずはそんな漠然とした考えを抱いたことでしょう。

 ところがさらに、明智探偵ものの長篇を―と、報知新聞社からも原稿依頼があったのです。
 連載中の「猟奇の果」、「蜘蛛男」完結後ただちに連載の始まる「魔術師」、9月から『キング』での新連載も引き受けて―
 乱歩としてはさすがに分量的に手いっぱいなうえ、いずれも明智探偵の活躍譚(※)というのでは、創作者として曲のない話です。
 (※)「猟奇の果」は、二重身の恐怖を題材とした探偵小説で、当初は明智探偵登場の予定はなかったものの、連載数か月で物語の展開に窮し、『文藝倶楽部』編集長・横溝正史の助言により「白蝙蝠」と改題のうえ、明智探偵が陰謀団の野望に挑むSF風の活劇譚に変貌することになります。
 これも乱歩のわがままが通る博文館ならではのこと。


 彼は何度も辞退したのですが・・・

 当時の講談社社長(野間清治)が『報知新聞』の経営も引き受けることになり、その初っ端の夕刊小説に乱歩の起用を考えた、という経緯を知って断り切れなくなり、「エイ、やっちまえ」とばかりに引き受けた―そんな話を乱歩は「探偵小説四十年」に記しています。

 無理して引き受けたのだから、多少のわがままも許されるだろう―そんな開き直りもあったかも知れません。

 結局のところ『キング』には「黄金仮面」、『報知新聞夕刊』には「吸血鬼」と題した作品を準備することになったのです。

 まずは手つかずになっている「魔術師」の執筆が最優先ですが、後続の2作品についても、腹案程度には筋書きを考えなくてはならない。

 「黄金仮面」は―
 次々と宝石や美術品を狙う怪賊・黄金仮面の所業に乗じて起こった殺人事件、黄金仮面に恋した美貌の令嬢の失踪―もつれた糸を断ち切るように、明智探偵が敢然と事件解明に乗り出す。黄金仮面の正体にも驚愕の、冒険活劇譚。

 「吸血鬼」は―
 美貌の未亡人・畑柳倭文子(しづこ)とその幼な子をめぐる、陰惨で奇怪な事件の数々。陰で暗躍する唇のない骸骨男―別名・吸血鬼に立ち向かう、明智探偵の活躍を描く怪奇冒険譚。
吸血鬼より02.jpg

※会津久三・画「吸血鬼」イメージ
 ~「少年マガジン大図解VOL.3」(講談社 1992年)より

 乱歩がこのような概要をまとめたとき、副産物のようにして「魔術師」執筆を逡巡させていた懸念を、きれいに払拭するアイデアが閃きました。

 「黄金仮面」は明智探偵が登場するものの、他の作品に縛られない、ある種独立した作品とします。
 余計なことは考えず、『キング』の何百万と言う読者に、稀代の怪盗と対峙する、明智探偵の颯爽としたヒーロー像を印象づけることに専念するのです。

 一方で「吸血鬼」は、時系列的に「魔術師」の後継作品と位置づけ、この流れの中で、先に記した「懸念」を払拭するような「明智探偵のアリバイ作り」を試みたらどうだろうか―
 『報知新聞』の読者層は、博文館とも講談社とも異なります。作中にこっそり自分の趣向を投げ入れても、気づかれないだろう―との計算もあったでしょう。

 そのためには「魔術師」の内容を見直す必要が生じました。

 乱歩は、すでに固まっていた「魔術師」の構想の、大筋の結構を変えることなく、登場人物に関して大胆な改変を施すことを思いついたのです。

 「魔術師」に登場させる予定だった「芳雄少年」を、思い切ってカットしよう―と。
 その代わり新たに、「文代さん」という女性を登場させる。

 すなわち乱歩は、明智探偵の「アリバイ工作」を画策したのです。

 明智探偵が異性と恋愛し、そして結婚に至る過程を描くことにより、彼の潜在的なの同性愛的嗜好を隠蔽する―云わば偽装工作です。
 その相手として「文代さん」という、若く美しい女性を「魔術師」に登場させることにした―云わば読者の目を逸らす囮です。

 彼女の出生の秘密、その境遇、性格、物語での役どころは、「芳雄少年」のために用意したものを、そっくり引き継ぐこととしました。誰が担うにしろ、この役どころは本筋に関わっており、必要不可欠なのです。

 「文代さん」は、魔術師の子として育てられ、親を裏切って明智探偵を助け、最後には明智探偵の助手に収まる―
 続く「吸血鬼」では、(表見的には)恋人としても明智の心の拠りどころとなり、やがて結婚に至る―そんな流れで人物造形を施したのです。

 「文代さん」と対になる役どころに、「玉村妙子」という女性も登場させることにしました。
 明智探偵は当初「妙子」に恋愛感情を抱き、物語が進むにつれて「文代さん」のほうに心移りしていきます。
 「妙子」は玉村家の娘という役を巧みにこなしながらも、魔術師自決後にその本性を現わします。
 構想段階では「進一少年」に付与された属性を、少し変えて「妙子」が担ったわけです。

 その「進一少年」は、「妙子」が可愛がる孤児という役で、「魔術師」に留まりました。「妙子」の共犯者として、終盤に凶悪な姿を見せます。

 すなわち、前回で記した構想段階での「魔術師」のあらすじのうち、太字に下線を引いた箇所を次のように読みかえれば、実際に執筆された作品のあらすじとなります。

 芳雄少年 ⇒ 文代さん
 玉村進一少年 ⇒ 玉村妙子

 では、「魔術師」から押し出された「芳雄少年」はどうなったか?

 乱歩は彼が初めて登場し、探偵助手として活躍する舞台に「吸血鬼」という作品をあてがったのです。
 そして彼に、「小林少年」という名を新たに与えました。

 ここに通俗長篇や少年探偵団シリーズで、名探偵明智小五郎を助けて活躍する、お馴染みの小林少年が誕生しました。

 さらに付言すれば、乱歩のアクロバティックな画策により、明智小五郎は頭脳明晰な名探偵というだけでなく、悪には敢然と立ち向かう正義の人、異性への恋愛感情に懊悩する人間臭さもあり、年少者には厳しさと慈愛をもって接する理想的な師匠―そんな人物像に創り上げられるという効用もあったのです。

 というわけで、前回と今回の2回に亘って述べてきたことを、いま一度なぞってみれば、おおよそ次のようになります。

1) 乱歩は『講談倶楽部』に「魔術師」を連載するに当たり、当初の構想では、その本筋に絡めながら明智探偵と年少の探偵助手というコンビ誕生の経緯を描こうとした。

2) 彼の意図は、「魔術師」およびそれ以降の作品で、彼らの師弟関係を丹念に描くことにより、「孤島の鬼」では満たされなかった、同性愛に対する文学的興味を、充足させることにあった。

3) しかし「魔術師」連載の直前になって、『講談倶楽部』の読者は、そうした同性愛的な雰囲気を受け入れないだろう、という懸念が生じてきた。

4) そこで「魔術師」の構想から、明智探偵と少年とのあいだに育まれるはずだった師弟愛の物語を、明智探偵と女性とのあいだに芽生えた恋愛物語に、そっくり置き換えることにした。

5) 「魔術師」で明智探偵の異性との恋愛を描くことにより、次の作品であれば明智探偵と少年の師弟愛を描いても怪しまれることはないと、「吸血鬼」においてその少年―「小林少年」を登場させることになった。

 さらに結論的に要約すれば―
 「魔術師」当初の構想にあった「芳雄少年」は、その内面的な属性をそっくり「文代さん」が、外形的な属性を「小林少年」が引き継いだ、すなわち「文代さん」も「小林少年」も、もとは同じ人物―

 文代さんと小林少年は同一人物である。

とする仮説が成り立つ―ということです。

 そもそも、私がこんな仮説を捻くり出したのは、「吸血鬼」に初登場した小林少年が、その出自や経緯が説明されないまま、唐突に「名探偵の小さいお弟子」に納まっていることに疑問を感じたからでした。

 それに対する回答は、
 小林少年の素性や境遇、あるいは登場の背景や経緯などはちゃんと用意されていたものの、それらは急遽、もうひとりの探偵助手・文代さんに明け渡されることになったから―ということです。

 蛇足ながら―

 こうした私の拙い論考が、いかほどの説得力を持つのか、正直自信はないのですが、実はこの仮説を唱えることにより、上述の小林少年の謎が解明されるだけではないのです。

 「魔術師」や「吸血鬼」、あるいは後続の作品を読んでいると、他にもいくつか不自然な点、不可解な事象が散見されます。
 この仮説を前提にすれば、これらをある程度説明することも可能になってくるのです。

 そんな訳で、次回はこれまでの論考の傍証として、この仮説をもとに他のいくつかの疑問点について解明を試みたいと思います。

(今回でこの話題を終わりにしようと考えていましたが、そうもいかなくなり、次こそは・・・)
posted by Pendako at 15:18| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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