2019年02月15日

120字の映画館No.16~黒澤明その6 「醜聞」

 監督:黒澤明
 製作:松竹 1950年
 出演:三船敏郎、山口淑子、志村喬、千石規子、桂木洋子

恋はオートバイに乗って―青年画家と女流声楽家の熱愛?扇情的な捏造報道が街を駆け巡る!ふたりは雑誌社相手に訴訟起こすも、勝算なきまま結審へ。彼らの頼む弁護士こそ、被告に内通するろくでなしだったのだ!!だが彼にはその不正を見透かす、星のように無垢な娘がいた・・・

醜聞 映画ポスター.jpg

 '醜聞'と書いて'スキャンダル'と読ませます。
 
 山中の宿で偶然居合わせた新進画家と女流声楽家の、これまた偶然にも親密に寄り添うような構図で撮られた写真をもとに、邪推と誇張で仕立て上げられた熱愛記事が、津々浦々に広まっていく・・・

 報道の自由か?言論の暴力か?

 実に今日的なテーマですが、1950年という昔にもイエロージャーナリズムはあったのです。
 戦後、報道や言論の自由度が高まったが故の、ある種の弊害でしょう。

 余談ですが、さすが自由の国アメリカでは、日本より半世紀以上進んでいたようです。
 1890年代、新聞王ハーストが購読者や発行部数を増やすために仕掛けた捏造まがいの報道姿勢が、イエロージャーナリズムの始まりとされています。
 ウィリアム・ランドルフ・ハーストと言えば、オーソン・ウェルズ監督・主演の「市民ケーン」(米 1941年)のモデルになった人物でもありますね。

 黒澤明は当初この「醜聞」を、報道の自由を履き違えた低俗下劣なジャーナリズムを告発するための、社会派ドラマとして企画しました。

 ところが「僕の言いたいことがうまく出せない」と、脚本作りの段階から行き詰まります。
 そこで志村喬演ずる蛭田弁護士―どうしようもなく心の弱い人間で、弱いがために保身に逃げる、保身のためには依頼人をも騙す―そんな人物像を物語に投げこんだのです。

 すると「シナリオを書いている私の鉛筆は、まるで生き物のように動き出して」書き上げた、と述懐しています。(黒澤明「蝦蟇の油―自伝のようなもの」より)

 映画完成後しばらくして、その昔に渋谷の飲み屋で出会ったある男のことを、彼は突然思い出します。
 その初老の男は黒澤に、肺病を患って寝たきりの自分の娘がどれほど素晴らしく、それに引きかえ自分がいかにろくでもない人間かを、くどくどと黒澤に語って聞かせたというのです。

 すっかり忘れていたその出来事が、黒澤の潜在意識の中では生き続けていたのでしょう。
 そのエピソードが膨れ上がり、映画全篇に亘る重要なテーマに結実したわけです。

 完成した映画は、社会派ドラマというよりも、人間ドラマに重心を置いたものになりました。
 スキャンダラスな過熱報道の真偽を争う法廷ドラマが主軸ではありますが、どうしようもなく弱く薄汚れた男の、魂の浄化といった側面が強く印象に残る作品となったのです。

 したがって、主演は新進画家・青江一郎を演じた三船敏郎ですが、実質的な主役は志村喬演ずる蛭田弁護士です。

 同じく主演女優は声楽家・西條美也子を演じた山口淑子ですが、ドラマの要となるのは、桂木洋子演ずる結核病みの蛭田の娘・正子でしょう。

 ちょうど「酔いどれ天使」(東宝 1948年)で、掃き溜めで喘ぐ人々を助ける酔いどれ医者(志村喬)を主役に目論んだにも関わらず、泥沼から這い上がる勇気を持てずに破滅の道を辿る、空意地を張ったヤクザ(三船敏郎)が主役の座をかっさらったのと、逆パターンです。

 さて私は―
 この「醜聞」を初めて観たのは、同じ黒澤監督「白痴」(松竹 1951年)と併せた二本立てでのこと。
 いつ頃だったか、大井町か自由ヶ丘の武蔵野館系列の名画座だったと思います。
 一瞬たりとも気を抜けない、緊迫感横溢の「白痴」を観終わった後では、「醜聞」はほっと息をつく小品のように思えたものですが・・・

 蛭田が「あの子はお星様だ」と自慢する娘の正子は、物語の終盤で本当にお星様になり、蛆虫だと自嘲する蛭田は、最後の最後でお星様に生まれ変わる―

 「生きる」(東宝 1952年)の先駆けとなるようなテーマの、愛すべき佳品でした。
posted by Pendako at 16:08| Comment(0) | 120字の映画館 | 更新情報をチェックする
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