2018年11月27日

あだしごと~「魔術師」と「吸血鬼」をめぐって:乱歩と挿絵画家~番外篇

 半年ほど前に投稿した記事(『江戸川乱歩全集』第4巻より「魔術師」:乱歩と挿絵画家~その12)の中で、
「「魔術師」の読者にはまだ明かされていない作中の事象が、「吸血鬼」では種明かしのように平然と語られていることになる」と記し、「この疑問は、後日「吸血鬼」を取り上げる際に、具体的に考察してみたいと思います」
 と予告めいたことを書いたことがあります。

 実はこれ、自分では新たな発見でもしたような気になってそう記したのですが、のちのち「魔術師」や「吸血鬼」をぱらぱら拾い読みしていると、私の読み違いから生じた「疑問」だったことが分りました。
 したがって私は、以前記したことなどに頬かむりを決め込んでいれば良かったのですが、拾い読みによる副産物も出てきましたので、恥を忍んで、それら全部ひっくるめて取り上げてみたいと思います。

「魔術師」と「吸血鬼」の内容にも触れながら、説明することになります。
 特に「魔術師」は未読で、これから読もうと思っている方は、以下の文はお読みにならないほうが良いでしょう。ネタばらしに繋がる恐れがありますので。
 また、私自身もあんぐりするような間の抜けた話題も含まれますので、時間を惜しまれる方もパスされたほうが、精神衛生上よろしいかと。
創元推理文庫版「魔術師」.jpg

※創元推理文庫「魔術師」(1993年3月初版)

 注意喚起をさせていただいたところで、始めたいと思います。
 
 まず―
 江戸川乱歩の執筆活動に関する定説のひとつに、こんなものがあります。

 乱歩は通俗長篇を連載するにあたり、あらすじや設定を十分に練らないまま執筆に取り掛かるので、連載の途中で話の辻褄が合わなくなったり、登場人物に心理的な矛盾が生じたりして、これらを収拾するのに四苦八苦しながら執筆を続けることが多かった。
 そのため何度も休載したり、中絶したりすることもあり、完結したとしても首尾一貫した作品に仕上がらない場合が多い。

 例えば「魔術師」について、
「伏線の張り方がいかにも弱々しい・・・」「あらかじめ一貫したプロットが出来上っていなかったための弱点が、露呈された・・・」
と、手厳しい評があります。(大内茂男「華麗なユートピア」 『幻影城7月増刊 江戸川乱歩の世界』より)

「魔術師」と「吸血鬼」はどちらも、名探偵明智小五郎が活躍する通俗長篇です。また物語上の時系列で言えば、「魔術師」の後日譚が「吸血鬼」という構成になっています。

 疑問を感じたきっかけは、この2作品が、発表媒体は別々ながら、同じ時期にほぼ並行して連載されたという事実を、あらためて知ったことにあります。
 それぞれの連載期間は次のとおりです。

 「魔術師」・・・昭和5年7月~昭和6年6月 全11回(昭和6年2月は休載) 月刊誌『講談倶楽部』
 「吸血鬼」・・・昭和5年9月30日~昭和6年3月12日 全138回 日刊紙『報知新聞夕刊』 

 前日譚の「魔術師」が後日譚の「吸血鬼」より、2か月早く連載が始まり、3か月あとに完結していることになります。

 以上を踏まえて今一度、冒頭で引き合いに出した「ある疑問」を整理してみると―

 1.「魔術師」という作品は、遅くとも「吸血鬼」に取り掛かる時点において、結末までのプロットや犯人像は綿密に練り上げられていたのではないか?

 2.それゆえ乱歩は「吸血鬼」を執筆する際、実際には「魔術師」ではまだ明らかにされていない、事件の真相に関わる重要な手がかりを、先走って言及してしまうというミスを犯したのではないか?

 この2点に要約されます。
 具体的にどういうことなのか、もう少し詳しく説明します。(注意:ネタばらしあり)

「魔術師」と「吸血鬼」、それぞれの作品で描かれる事件はまったく別物で、事件相互の関連性はありません。ただ双方に共通する登場人物が、明智探偵のほかに、もうひとりいるのです。

 文代さんというヒロインです。(乱歩は作中で、「文代」ではなく「文代さん」と表記することが多いので、ここでもそれに倣います)

 このふたつの作品における、文代さんの事歴を要約すると次のようになります。
  ①極悪人の娘・奥村文代として「魔術師」に登場し、
  ②「魔術師」の事件を通じて明智探偵と相思相愛となり、
  ③「魔術師」事件後に大富豪の娘・玉村文代となって、
  ④「吸血鬼」の事件では女探偵(明智探偵の助手)として活躍したのち、
  ⑤「吸血鬼」事件後に、晴れて名探偵夫人・明智文代となる、
 若く美しい女性です。

(蛇足ながら)その後、「人間豹」(『講談倶楽部』昭和9年1月~翌年5月)では、乱歩ヒロイン最大の見せ場のひとつを提供してくれることにもなります。(中学生の私が恥ずかしながら、その場面にもやもやとした煩悩を生じせしめられた話は、だいぶ以前の記事「江戸川乱歩 生誕120年・歿後50年をふりかえる~その7(最終回)」で取り上げました)

 実はこの文代さんの名字や境遇の変遷が、「魔術師」事件の背景・展開・真相に、深く関わっているのです。

 連載当時、乱歩ファンの多くが、月刊誌『講談倶楽部』の「魔術師」、日刊紙『報知新聞夕刊』の「吸血鬼」、この2作品をふたつながら愛読していた・・・というのはあり得る話です。
 探偵小説ですから読者にとっての最大の興味は、不可解な謎が徐々に解明されていく過程にあると思います。そこにスリルがありサスペンスがあり、知的好奇心が満たされるわけです。
 そこには読者自身の予測や推理や願望も介在します。通常それらは、その時点までに記述された、現在または過去の事象に基づいて想起されます。

 ですが当時の読者は「魔術師」という物語を、作中の情報だけでなく、未来に提示されるはずの「吸血鬼」からの情報も加味しながら、読み進めたことになります。
創元推理文庫版「吸血鬼」.jpg

※創元推理文庫「吸血鬼」(1993年12月初版)

 端的な例をふたつばかり挙げてみます。

 ひとつは―
「吸血鬼」の初めのほう(「名探偵」の章)で文代さんは、
・・・この探偵事務所には、もう一人、妙な助手がふえていた。文代さんという、美しい娘だ。・・・これが、素人探偵の、有名な恋人だ・・・

 ―と紹介されながら登場します。(④)「文代=明智探偵の恋人」の関係です。この部分が掲載されたのは昭和5年11月のこと。
 ところが同じ月の「魔術師」のほう(「五色の雪」の章)では、明智探偵は賊の隠れ家を突きとめて、そこで前に自分の窮地を救ってくれた賊の娘・文代さんと再会するのですが、
何と云う不思議な対面であろう。・・・一人は追うもの、一人は追われるもの、彼等は永久に敵同志の間柄だ

 なんて描写が出てきます。(①)「文代=明智探偵の敵対者の娘」の関係です。

 ふたつ目は―
「吸血鬼」の終盤あたり(「執念」の章)で、
・・・近々名探偵とその恋人の文代さんとが結婚式を挙げる旨記されている・・・

 という新聞記事が紹介されます。(⑤)
 この結末部分が掲載紙に載ったのは昭和6年3月のこと。「文代=明智探偵の婚約者」の関係が示されています。
 一方、まだ連載半ばだった「魔術師」の、同じ月の回(「消失せた令嬢」の章)では、文代さんは悪党の父を裏切ることに逡巡しながらも明智探偵に協力し、誘拐された玉村家の令嬢・妙子救出の手引をする、という場面が出てきます。(②)「文代=明智探偵を恋慕する極悪人の娘」の関係が示されます。

 ちなみに、玉村妙子は、「魔術師」連載のそれまでの回で、明智探偵とのほのかな恋愛関係にあったものの、明智の心が妙子から次第に離れ、文代のほうに傾いていくさまが語られています。

「魔術師」の連載を毎月愉しみに読んでいた読者が、併せて「吸血鬼」の連載も読み始めると、「吸血鬼」の中には、その後の「魔術師」の展開が読めてしまうような記述が、少なくともふたつあることに気づいたに違いありません。

  a) 文代さんは賊の一味から、正義の側に寝返ることになる。
  b) 文代さんは明智探偵と恋仲になる。
 
 疑り深い読者はこのふたつから、次のように「魔術師」事件の真相を窺おうとするでしょう。
  a)⇒文代さんには、物語の展開上、極悪人の娘という汚名を雪ぐに足る理由づけが必要だ。それは文代さんの出生に関わることではないかしら?

  b)⇒始めのほうで、明智探偵と玉村妙子との恋愛模様が描かれていたが、そのエピソードは物語の本筋にどのような意味を持つのか。それは玉村妙子の出生に関わるのではないかしら?

 ここまでであれば、「魔術師」事件の真相にまで辿りつくのは容易ではありません。思いもかけぬ展開にゾクゾクする―という興味は多少削がれるかも知れませんが、許容範囲の内でしょう。

 実は私は、ここで重大な錯誤をしてしまったのです。その錯誤により、当時の読者は展開の予想のみならず、事件の真相まで予測することになったのではないか、と邪推することになったのです。

 その錯誤とは、前述した文代さんの事歴①~⑤のうち④のところで、文代さんが「玉村文代」の名で登場している、と思い込んでしまったことです。

 そのため私は、当時の読者が、
  c) 玉村妙子と玉村文代は姉妹関係である。
 と認識しつつ、
  c)⇒いや、別の事情があるのかも知れない。それが事件の真相を暴く鍵であるに違いない?
 と考えながら「魔術師」を読み進めることになった・・・
 私はそんなことに思いを馳せてしまったわけです。

 奥村文代が実は玉村文代であった―「魔術師」の終盤で明かされるこの事実が、事件の背景や真相や真犯人を指し示す、重要な要素であることは間違いありません。

 a)、b)、c)を合わせて考えるなら、妙子と文代の出生の秘密とは、実はふたりが○○○○られたに違いない・・・勘のいい読者なら、ある程度推測することは可能でしょう。

「魔術師」の連載中にこんな重要な手がかりを、「吸血鬼」のほうで明かしてしまうとは、「乱歩の大ポカだな」とまで思ってしまったのです。
 それで冒頭に引き合いに出した、「この疑問は、後日「吸血鬼」を取り上げる際に、具体的に考察してみたいと思います」という不敵な宣言に繋がったわけです。

 実は「吸血鬼」には、こんな箇所もあります。
「吸血鬼」が三分の一ほど進んだあたり(「女探偵」の章)で、
彼女こそ名にし負う怪賊「魔術師」の娘だ。いわば和製女ヴィドックなのだ

 私はこれを、乱歩が勇み足で物語の始めの方で、文代さんが玉村姓であることを明かしてしまったことを糊塗するための、まやかしの描写―とさえ思ったのです。

 繰り返しますが、「吸血鬼」には「文代さん」とだけ紹介され、「玉村」姓はまったく登場しません。私の思い違いでした。
「吸血鬼」での文代さん登場シーンをもう一度引用してみましょう。ここに「玉村」という姓はでてきません。

・・・この探偵事務所には、もう一人、妙な助手がふえていた。文代さんという、美しい娘だ。この美人探偵助手が、どうしてここへ来ることになったか、彼女と明智とが、どんな風な間柄であるか、等々は「魔術師」と題する探偵物語に詳しく記されているのだが、三谷は予ねて噂を聞いていたので、一目で、これが、素人探偵の、有名な恋人だなと、肯くことが出来た。


 当時の読者が、「奥村文代は実は玉村文代だ」と知らされるのは、「魔術師」の終盤においてのみだったのです。

 乱歩は大ポカをしたわけではもちろんなく、自身が「吸血鬼」の自作解説で
なぜ名探偵を結婚させたのか・・・明智探偵は単なるシンキング・マシンではなくて、情理かね備えた人という意味だった・・・

 と述懐するとおり、明智探偵と文代さんを「魔術師」で恋仲にし、「吸血鬼」で結ばせようという、漠然とした構想があっただけの話なのでしょう。
 そして「吸血鬼」での記述が、「魔術師」のネタをばらすことのないように、玉村文代ではなく、単に文代さんとだけ表記したのでしょう。

 そりゃそうだわな、と今になって思います。もし実際に「吸血鬼」で「魔術師」のネタばらししているとなったら、それに言及する評論や解説が書かれていないはずがない!

 私が大発見した気になって、得々とそれを指摘する文を書こうとした矢先に、冷や水を浴びせられたようなものです。やれやれ、事前に気が付いてよかったわい・・・と胸をなで下ろした次第です。

「それじゃお前は、そんな自分の思い違いについて、こんなに長々と説明していたのか」と、うんざりされる方もおられるでしょうから、この辺で切り上げますが・・・

 怪我の功名と言うべきか、転んでもただでは起きぬという開き直りか―
 実はこの件がきっかけになって、新たな仮説というか妄説が浮上してきたのです。

 先に引用した「吸血鬼」の文代さん登場の場面ですが、その前段でこんな描写もあります。
三谷がドアを叩くと、十五六歳の、林檎の様な頬をした、詰襟服の少年が取次に出た。名探偵の小さいお弟子である。
 明智小五郎をよく知っている読者諸君にも、この少年は初の御目見えである・・・

 これがのちに少年探偵団シリーズで主役を張ることになる小林少年の、乱歩作品初登場場面です。

 新たな仮説と云うのは、この小林少年に関わることなのですが・・・続きはまたあらためて。(実は仮説というにはまだ、あまりに漠然とした状態なので)
posted by Pendako at 14:35| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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