2018年05月09日

『江戸川乱歩全集』第4巻より「猟奇の果」:乱歩と挿絵画家~その11

「猟奇の果」

 昭和5年(1930年)1月から同年12月まで『文藝倶楽部』(博文館)に連載された長篇。
 連載が半年を過ぎたころ、例によって展開に窮して開きなおったか、内容一新を目論んで「白蝙蝠」と改題されました。(単行本化の際に総題を「猟奇の果」に戻し、その内訳を「前篇 猟奇の果」「後篇 白蝙蝠」として刊行)

『文藝倶楽部』は博文館の文芸雑誌。
 明治28年(1895年)の創刊当時は純文学雑誌として出発しました。
 樋口一葉、泉鏡花、田山花袋、徳田秋声、幸田露伴、国木田独歩、岡本綺堂…錚々たる面々の小説や戯曲が発表されています。

 大正期に入ると次第に大衆路線にシフトして、風俗小説、時代小説、探偵小説などの掲載が多くなりました。

 乱歩が「猟奇の果」を連載した頃の『文藝倶楽部』編集長は、『新青年』から異動のあった横溝正史。
 つくづくこの頃の乱歩は、横溝正史に尻を引っぱたかれながら筆をとったものです。

「猟奇の果」は、ドッペルゲンガーの恐怖を主題にした物語です。

 ドイツ語のdoppelgängerとは二重身、あるいは分身のこと。中国や日本でいう離魂病に近い概念でしょうか。
 この世の中に、自分と瓜二つの人間―単に顔かたちが似ているというのではなく、もうひとりの自分が存在する、という現象をいいます。

 なお、二重身を二重人格とごっちゃにしてはいけません。二重人格は、ひとつの身体に異なる人格が同居する現象です。

 というのもその昔、「私という他人」とか「失われた私」といった多重人格者を扱ったノンフィクションを読んだ勢いで、この題材を文豪はどう描いているかの興味から、ドストエフスキー「二重人格」(岩波文庫 小沼文彦・訳 1981年)を手にしたとき、

 違うではないか―と思ったからです。 

 これは「二重身」あるいは「分身」の邦題がふさわしい作品です。(訳出された当時、二重人格や二重身の概念が未分化だったからかも知れませんが)

 ところが瓢箪から駒というか、怪我の功名というか、これをきっかけに、世の中には「分身テーマ」を扱った文学作品が、実にたくさんあることに気づいた次第。

 エーヴェルス「プラーグの大学生」、オスカー・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」、ポオ「ウィリアム・ウィルソン」(これは再読)などに手を伸ばすことになりました。

 それまで、「分身テーマ」などという括りで読んだことがなかったので気づきませんでしたが、夏目漱石も森鴎外も芥川龍之介も谷崎潤一郎も、みんな書いておりました。

 そんな「分身テーマ」に関心を持つ方の、格好のブックガイドが次の書物。

20世紀日本怪異文学史誌.jpg

※山下武「20世紀日本怪異文学誌―ドッペルゲンガー文学考」(有楽出版社 2003/08初版)


 ドッペルゲンガー文学についての論考に、まるまる1冊をあてた、おそらく日本で唯一の本です。
「20世紀日本…」とありますが、もちろん古今東西の作品にも、軽く触れられています。

 さて、乱歩の「猟奇の果」です。

 大抵の「分身テーマ」小説は、怪奇小説であったり、幻想小説であったり、思弁小説であったりするわけですが、乱歩は探偵小説でこれを扱おうとしました。

 乱歩の戦後の著作に「幻影城」という、(中学生の私にとっては「続・幻影城」とならんで)血沸き肉躍るような傑作評論集がありますが、集中の白眉ともいうべき「怪談入門」のなかで、乱歩は古今の分身怪談を紹介しながら、

分身怪談を裏返して合理的説明をつけると、やはり探偵小説になる。…甲が友人乙に化けて諸所に姿を現わし、乙をして自分と同じ人間がもう一人いるという恐怖心を抱かせるトリックである…


 と記し、その実例として自作の「猟奇の果」を挙げています。

 連載当初はまさしく乱歩は、そのようなトリックを盛り込んだ探偵小説を書いてやろうと、意気込んでいたに違いありません。

 ところが連載の途中で、(これは自作解説からの引用ですが)次のような事態に陥ります。

…それがうまく書けないで、もう種あかしをしないでは、間が持てなくなった。しかも、そういう結末だということは…読者に感づかれてしまっている。私は途方にくれた…


 と、またもや休載or中絶の危機に瀕することに。

 ここで(なんとか乱歩の連載をつなぎとめたいとする)横溝編集長の入れ知恵もあって、乱歩は大技を仕掛けます。

 探偵小説としての合理的な収束はみごとに放擲し、代わりに「人間改造術」という着想を新たに取り入れたのです。
 政財界の要人を瓜二つの別人に次々と入れ替えて日本乗っ取りをたくらむ、白蝙蝠団一味の暗躍を描いた空想科学小説に仕立て上げたのです。(後半から「白蝙蝠」と改題した理由がこれ)

 こうした経緯を知った後に「猟奇の果」を再読した私は、作品の出来はともかく、文中ところどころで乱歩の苦吟の跡を偲ぶこととなり、微苦笑を禁じ得なかった思い出があります。

江戸川乱歩全集第4巻02 猟奇の果.jpg

※「猟奇の果」より(挿絵:横尾忠則)

 主人公は、例によって人生に退屈し、ただただ猟奇を追い求める男・青木愛之助です。(物語の途中から姿を消してしまうのですが)

 彼の友人に品行方正な男・品川四郎がいます。
 青木はその品川の、品行方正ならざる行為の数々をまのあたりにするのです。

 靖国神社の招魂祭で賑わう九段で、スリを働く品川。
 活劇映画の、京都の街並みを映し出す場面で顔が大写しとなって登場する品川。
 麹町の古風な屋敷の中で、ある貴婦人と異様な恋愛遊戯に耽る品川。
 あろうことか、青木の妻と、彼の地元・名古屋の鶴舞公園で逢引きを重ねる品川。

 ところがそれらは、品川当人でないことも明らかな事実―
 品川にはどうも、分身のような男(作中では「幽霊男」と呼ばれます)が別に存在するに違いないのです。

「幽霊男」が各地を転々としながら(浅草もちゃんと出てまいります)悪さを重ねていく・・・前篇ではそんな分身の怪異と謎をめぐるおはなしです。

 後篇から名探偵明智小五郎の登場となり、いよいよ謎の解明か―と思いきや、先に記した破天荒な展開になるのです。

 さて、挿絵の人物は言うまでもなく、品川四郎とその分身のふたり。
 額に墨筆で「壱」「弐」とあるのが直截すぎて、なんとなくおかしみを誘います。

 背景には金閣寺が描かれています。作中に京都四条あたりの描写はありますが、金閣寺についての言及はなかったような。

 ともあれこの紆余曲折の物語、普通の探偵小説と構えて読むと失望しますが、以上のような成立事情を踏まえて読むととても楽しめる作品だと、(やや控えめに)断言します。
posted by Pendako at 11:57| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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