2018年05月07日

『江戸川乱歩全集』第4巻より「押絵と旅する男」:乱歩と挿絵画家~その10

「押絵と旅する男」
 昭和4年(1929年)6月、『新青年』(博文館)に発表された短篇。

 この頃の『新青年』編集長は、横溝正史のあとを継いだ延原謙(1892~1977年)でした。
 日本の探偵小説草創期には、翻訳家としての業績で多大な貢献を果たした方です。

 私にとっては、新潮文庫のシャーロック・ホームズ全10冊、『ドイル傑作集』全8冊、コナン・ドイル自伝「わが思い出と冒険」などの訳業に、中学時代からたいへんお世話になった方でもあります。

 なお、シャーロック・ホームズの原著は、
  長篇4冊(「緋色の研究」「四つの署名」「バスカヴィル家の犬」「恐怖の谷」)
  短篇集5冊(「シャーロック・ホームズの冒険」「思い出」「帰還」「最後の挨拶」「事件簿」)
 の計9冊からなっています。

 が、新潮文庫版では、たぶん紙幅の都合でしょう、「冒険」「思い出」「帰還」「事件簿」からそれぞれ2~3篇ずつ抜いて、「シャーロック・ホームズの叡智」という原典にはないタイトルの短篇集にまとめています。
 従って新潮文庫では、長篇4冊、短篇集6冊という構成。

 現在でも新潮文庫では、この構成、訳者を踏襲したまま版を重ねる、ロングセラーになっています。

 創元推理文庫で阿部知二・訳のホームズ・シリーズを買い集めていた頃、第5短篇集「シャーロック・ホームズの事件簿」(原著は12作品収録)が出る見込みのないことに気づいて、新潮文庫版の「事件簿」と「叡智」のうち、原著「事件簿」の12作品に該当するページだけをつなぎ合せ、1冊に合本して悦に浸った…という話を、このブログのどこかで取り上げた気がします。

 話を戻して、乱歩の「押絵と旅する男」です。

 前年の、横溝正史編集長時代の「陰獣」に続き、この延原謙編集長時代に「押絵と旅する男」を発表して、処女作「二銭銅貨」から始まる『新青年』誌上での江戸川乱歩の執筆活動は、有終の美を飾ることになります。(その数年後『新青年』に連載し、2ヶ月で中絶した「悪霊」は、勘定に入れないものとして、の話ですが)

 この幻想小説の傑作が、どういう経緯で誕生したか…
 実は前編集長・横溝正史が、深く関わっていたようです。

 長篇「一寸法師」および「パノラマ島奇譚」の連載終了後(昭和2年=1927年3月)、自作に嫌気がさした乱歩は休筆宣言し、翌年8月「陰獣」で『新青年』に復帰するまで、約1年半に及ぶ放浪生活に入ります。

 放浪生活と言っても、持ち金が底をつけば家から送金してもらったり、各地の知人・旧友を訪ねたりと、気ままな一人旅みたいなものだったようです。
 そんな放浪中の乱歩にも、ことあるごとに原稿を催促したのが横溝正史。

 それに応える気持ちもあったのか、乱歩は蜃気楼を見に魚津に立ち寄った体験をもとにして、昭和2年の末頃、「押絵と旅する男」の原型となった短篇を書いています。

 ところがある用事で名古屋の旅館に横溝正史と同宿した際、「一つ書いたものがある」と正史に仄めかしながら、実はその作品の出来映えに満足していなかった乱歩は、同じ夜にこっそり原稿を、旅館の便所に捨ててしまうのです。

 あとからそれを打ち明けられた横溝正史は、地団太踏んで悔しがったとか。

 その後乱歩は「陰獣」を書いて、横溝編集長のご機嫌を取り繕ったわけですが、便所に捨てた原稿のアイデアも捨てがたく、書き改めた「押絵と旅する男」を、次の代の延原編集長に渡した…という乱歩通には有名なエピソード。

江戸川乱歩全集第4巻01 押絵と旅する男.jpg

※「押絵と旅する男」より(挿絵:横尾忠則)


 文庫本にして30ページ足らずの短篇ですが、乱歩趣味がぎっしり詰まっています。

 魚津で蜃気楼を見物した「私」が、上野行きの汽車に乗りこみます。
 車輌の乗客は、「私」のほか、大きな扁平な荷物(額のようなもの)を携えた初老の男がひとりだけ。

 男が車窓に立てかけていた額を、風呂敷に包みこんだとき、偶然「私」と目が合います。
 ふたりは、互いに意識しながらも沈黙が続きますが、やがて男のほうから「私」に、風呂敷包みの中身を見たいかと尋ねるのです。

 見せてもらうと、それは振り袖姿の町娘と洋装の老人が寄り添うようにならぶ、不思議な取り合わせの押絵細工でした。

 男はその押絵の由来―彼の兄にまつわる不思議な運命について、語りはじめます・・・

 その続きは読んでのお楽しみとして、作中の乱歩趣味(あるいは乱歩らしさ)を取り出してみましょう。

 偶然居合わせたふたりの人物の会話をきっかけに、意外な物語が展開するというのは、乱歩が好んで用いる形式です。(「二廃人」「指輪」「疑惑」「モノグラム」「ぺてん師と空気男」など)

 蜃気楼は大気の生みだした巨大なレンズが、彼方の風景を映しだす幻影です。
 これを物語の出だしに振ったのは、作中で語られる、遠眼鏡のレンズの作用により生身の人間に起こった不可思議とを対比させるためでしょう。〔レンズ嗜好〕

 押絵は、立体的な質感と精緻さをそなえ、絵草紙や浄瑠璃などの世界観を凝縮した工芸品です。〔ミニチュア嗜好〕

 車中で男が語る不思議な物語は、浅草が舞台となっています。浅草の妖しく懐かしい魅力が、ここでも語られます。〔浅草趣味〕

 その浅草に聳えていた、当時の高層ビルともいえる浅草十二階(凌雲閣)に、足繁く通う兄の行動を不審に思った男が、兄を追ってみると―

 彼の兄は実は、浅草十二階の展望階から、遠眼鏡越しに覗いた先で美しい娘を見つけ、恋に落ちていたのでした・・・というところから切なくも美しい幻想譚が始まります。

 その一途な恋にはしかし、現実世界では成就することなど到底不可能な事情が立ちふさがっていました。
 兄は弟に、助力を求めます。レンズの魔力で、その難題を解決するために…

 中心となるテーマは、「人でなしの恋」や「蟲」と同様、人形愛でしょう。しかもレンズを媒介とした、生身の人間と人形との恋物語です。

 この作品だけは、あらすじを克明に記しても、その良さを伝えることはできません。(良質の幻想小説とは、おそらくどれもそうでしょう)

 超自然的な現象を、読み手がなんの違和感もなくすんなり受け入れられる―そのための情況設定と描写力(語り口)が、幻想小説の最大の要件だと思われるからです。

 乱歩にとって浅草という町が、そうした情況を醸し出すのに最適な場所だったのです。(乱歩のもうひとつの傑作幻想小説、「目羅博士の不思議な犯罪」の舞台も浅草―というのは偶然ではないでしょう。しかもこの作品もまた、たまたま居合わせたふたりの人物の会話から、物語が始まるのです)

 ともあれ〔人形愛〕〔浅草趣味〕〔レンズ嗜好〕などの乱歩趣味が混然一体となり、乱歩得意の語り口で叙述した「押絵と旅する男」は、間違いなく幻想小説の名作になりえたのだと思います。

 最後に挿絵について。
 横尾忠則は、この不可思議な物語のいくつかのモチーフを、象徴的な手法で描いています。

 レンズで拡大されたような、蜃気楼の汽車が迫ります。
 群衆は、蜃気楼の見物客でしょうか、それとも浅草の町の雑踏でしょうか。

 では肝心の押絵は…?

 汽車の左上、黒地に赤い模様の円が浮かんでいますが、これは落款代わりの「横尾」の印影です。
 ですが、判然とした文字ではありません。

 見ようによっては―
 実は遠眼鏡をさかさに覗いたときにレンズに縮小して映しだされた、押絵の絵姿ではないか…と邪推してみたくなります。


posted by Pendako at 22:52| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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