2018年05月05日

『江戸川乱歩全集』第4巻より「虫」:乱歩と挿絵画家~その9

講談社版『江戸川乱歩全集』第4巻「猟奇の果」(1969年7月初版)
 収録作品は次のとおり。(頭に★印のついた作品が横尾忠則の挿絵付きです)

★「虫」、★「押絵と旅する男」、★「猟奇の果」、★「魔術師」、★「盲獣」
「乱歩文学の魅力」(原卓也)、「作品解題」(中島河太郎)

 この巻はいろんな意味で、乱歩らしさが濃厚に浮き出た作品ばかり集まりました。

「虫」「盲獣」の2作は、その乱歩らしさが鼻に付き、眉を顰める方のほうが多いかも知れません。乱歩らしさがアクになっているのです。

 以前の記事で岩波文庫『江戸川乱歩短篇集』(千葉俊二・編 2008年8月第1刷)のことに触れ、

  この調子で「虫」「盲獣」あたりも出してもらいたいものです…

 というようなことを、多少揶揄する気持ちもあって記した覚えがありますが、よもや岩波書店さんに聞き入れられるとは思ってもみませんでした。

 昨秋刊行された岩波文庫「江戸川乱歩作品集I 人でなしの恋・孤島の鬼 他」(浜田雄介・編 2017年11月第1刷)に、あっさりと「虫」が収められてしまいましたね。
 なお、この版でのタイトル表記は「蟲」になっています。

江戸川乱歩作品集Ⅰ03.jpg

※岩波文庫「江戸川乱歩作品集Ⅰ」
収録作品は「日記帳」「接吻」「人でなしの恋」「蟲」「孤島の鬼」


 一方、乱歩らしさがアクではなく、うまみのある極上のダシとなって、名作級の幻想小説に昇華されたのが「押絵と旅する男」。乱歩作品の、第1位に推す人の多い作品です。

「魔術師」は、「蜘蛛男」に始まる通俗スリラーのなかでは破綻のない(だからこそこじんまりした印象の)作品ですが、読者の喜びそうな趣向をいたるところに仕込んだ、乱歩のサービス精神横溢の一篇です。(女性読者の受けを狙ったわけでもないでしょうが、名探偵明智小五郎の恋愛ロマンスも描かれています)

 逆に「猟奇の果」は、発端の抜群の奇想の広がりが、怪奇スリラーの枠内では収まりきらず、空想科学小説にはみ出してしまうという大破綻の作品。乱歩の創作姿勢で、最も悪い部分が出た長篇です。

 以上の収録作品すべてに挿絵がついていますので、5回に亘って一作品ずつ紹介することにします。

「虫」
 昭和4年(1929年)9~10月、『改造』(改造社)に連載の中篇。

 初出の際には、「蟲」の表記でした。
 おそらく戦後すぐに制定された当用漢字に則り、「虫」表記になったものと思われますが、最近の出版物では、前述の岩波文庫も含め、「蟲」に戻すことが多いようです。

 これはやはり「蟲」でなければならないでしょう。

 なぜなら作品のモチーフを、漢字の字義よりも、字面によって視覚的に表現した、きわめて独創的なネーミングだからです。

 似たような例に、谷崎潤一郎の「卍」がありますね。
 おもしろいことに、「卍」も昭和3年から4年にかけて、雑誌『改造』に連載された作品です。
 ただしお寺の話ではないですよ、念の為。

 さて、デジタル大辞泉(小学館)によると、
むし【虫】の意味」として「1人類・獣類・鳥類・魚貝類以外の小動物の総称。特に、昆虫をいう。
とあります。(2以下の説明は、1から派生した意味なので省略)

 ですが「蟲」という漢字の成り立ちは、「小さなムシがたくさん集まっている様子を表した会意文字」なので、蟲と虫では、森と木ほど意味合いが変わるような気がいたします。

 乱歩のこの作品に、虫は登場しません。蟲になぞらえた、ある現象が描かれているだけです。

江戸川乱歩全集第4巻05 虫.jpg

※「虫」より(挿絵:横尾忠則)


 乱歩の自作解説によれば、この作品は当初、『新青年』に発表するつもりだったようで、『新青年』誌上の予告には、次のようなタイトルを掲げ、読者の期待を煽りました。

蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲
蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲
蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲蟲

 見ただけで、からだじゅうにモゾモゾ感が…

 ところが『改造』用に執筆していた「陰獣」が、書いているうち原稿枚数超過となり『新青年』のほうに回したため、その埋め合わせとしてこちらを『改造』に渡した、という経緯があったようです。
 枚数のせいにしてますが、「陰獣」の発表舞台は、『改造』より『新青年』がふさわしい、と乱歩は考えたのかも知れません。

「蟲」は、

…人間の死体を蝕む極微生物(蛆ではない)との闘争を書こうとしたのだ。…目に見えないものの為に、恋人の身体が分解していく、それを食い止め様として、あらゆる手段を尽くす。その闘争と恐怖の味を出そうとした…

と、自作解説で述懐するとおりの作品です。

 厭人癖のある主人公・柾木愛造は、彼の懐かしい初恋の相手で、いまは有名な舞台女優となった木下芙蓉に再会し、以前にも増して一方的な恋慕をいだきはじめます。

 しかしその思いは物語の中盤で、いともあっさりと拒絶されて―

 彼はそこから、芙蓉(とその情人)の身辺に、ひそかにつき纏いはじめます。
 そしてふたりの私生活をまのあたりにしながら、彼女の殺害を企てるようになるのです。

 可愛さ余って憎さ百倍…といった心情とは違います。
 子どもが、よその子の愛玩している人形を欲しがる…そんな感じ。
 
 やがて機は熟し、柾木愛造はついに芙蓉の首に手をかけることになります。
 そして彼は上機嫌で、「魂のない花嫁」を自宅の土蔵に迎え入れるのです。

 永遠の恋人を手中にしてご満悦の柾木愛造でしたが、一夜明けたころ、身の毛もよだつような恐ろしい事実に気づくことに。

 彼の脳髄は、たちまち「蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、蟲、…」のイメージで溢れかえって―つまりは前述の、乱歩の述懐のような場面が繰り広げられることになるのです。

 さて、横尾忠則の挿絵ですが。

 柾木愛造は目に見えぬ蟲を撃退せんものと、数日間にわたって悪戦苦闘するのですが、刻々変化する芙蓉の様子の、その初期の段階を描いたものでしょう。(そのまま絵柄に引用したと思われる作中の描写が、そのあたりにあります)

 そこに障害物競走のハードルを飛び越すときのような、男の姿が添えられています。
 作中これに因んだ場面はなかったような気がします。
 謎めいた取り合わせ、何かの判じ絵でしょうか。

 とてつもない焦燥に駆られたはじめた柾木愛造の、焦燥感を象徴している…と見えないでもありませんが。

 ともあれ物語の後半は、まことにグロテスクな、目を背けたくなるような描写が連綿と続きます。
 が、全体を通して見ると、永遠の恋に焦がれる男の所業を描いた、純愛小説でもあるような気がします。

 あるいは、これより先に書かれた「人でなしの恋」のモチーフの変奏的作品、と言っていいかも知れません。
 戦後『少女クラブ』に連載された「魔法人形」でも同様のモチーフの、(こちらは当然ながら、より穏やかな)変奏が楽しめます。

 一貫して乱歩が好んで題材に取り上げた、「人形愛」の物語。
posted by Pendako at 00:38| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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