2017年05月31日

『少年少女世界推理文学全集』再説~全集のあらまし⑦ ブックデザイン~監修

《ブックデザイン》
 あかね書房『少年少女世界推理文学全集』(以下、『本全集』)のブックデザインは、沢田重隆鈴木康行のお二人があたられています。

1)沢田重隆
1918年、東京生まれ。東京高等工芸学校(現千葉大学)図案科卒業。企業広告、装丁、挿絵、油彩など多方面で活躍。『生粋の下町 東京根岸』をはじめ、日本の都の景観や人々の暮らしを現代の眼で捉えるシリーズの絵にライフワークとして取り組んだ。2004年、没

―角川ソフィア文庫「京都 まちなかの暮らし」 (寿岳章子・著、 沢田 重隆・イラスト 2009年10月刊) の紹介文より引用

 身近なところでは、1927年に食料品店として創業され、1976年にスーパーマーケットとして営業開始した成城石井の、あのワインレッドのロゴマークも沢田重隆のデザインとか。

2)鈴木康行
 生年・経歴不詳―いまのところ、こう記すしかありません。
 手持ちの書籍をめくったり、小一時間ネット検索したりしたのですが、有用で確実なデータは見あたりませんでした。

 ただ、(断片的ではありますが)その業績を示すものは、いくつか確認できます。

 岩崎書店『SF世界の名作』全26巻(1966年~1967年)や河出書房『少年少女世界の文学』全24巻+別巻2巻(1966年~1968年)のブックデザイン(もしくは装丁)など、です。
 もっぱら児童書のブックデザインを手がけた方なのでしょうか、沢田さんのようにマルチに作品を残している、という形跡は見あたりませんでした。

 このお二人が、どういった役割分担だったのかは不明ですが、『本全集』のスマートな外観形成を果たした功績者の、筆頭にあげられるべきだと思います。

 ブックデザインの具体的内容については、稿をあらためます。

《監修》
 川端康成中野好夫阪本一郎の3名が名を連ねています。

1)川端康成
 この、日本を代表する小説家については、どなたもご存じでしょう。

 1899年生まれ、1972年没、代表作は…いえ、改めてここに記すのは野暮というもの。

『本全集』の刊行が始まったのは1963年、すでに川端康成の代表作の、ほとんどが出揃ったあとのことです。

 私が小学校から帰宅して、図書室から借りてきた『本全集』の何冊目かを読んでいると、文学には全く縁のない母親が、
「あれ、川端康成かい?」
と感心してくれた記憶があります。
 あかね書房の思惑、ズバリ的中ですね。

 小学校時代に、川端康成の名を知り、何かのクイズ番組で「国境の長いトンネルを抜けると雪国であつた」のフレーズを覚え、映画「伊豆の踊子」のスチール写真を見て、「あ、これまぼろし探偵に出てたお姉ちゃんだ」と大発見した気分になったりして…

 極めつけはノーベル文学賞の受賞(1968年)。
 父親の本棚から文学全集の一冊、「川端康成集」を抜き出すきっかけとなりました。

 最初は「みづうみ」という、ちょっと危ない長篇。

 小説家を、そのモチーフや傾向性によってエロスとタナトス、という二分法で分けるとすれば、川端康成は「タナトス指向の作家」だと思います。
「みづうみ」を読んで漠然と、それに近い感じを抱いたものです。

「山の音」「雪国」「伊豆の踊子」なども、確かこの本で読んだはず。

 新潮文庫に手を伸ばし、「掌の小説」「眠れる美女」「片腕」「浅草紅団」などの作品をぽつぽつと読み進めたのですが…

 1970年11月、三島由紀夫の割腹自殺を機に、読書の興味はそちらのほうに移った矢先、今度は川端康成ガス自殺の報が届いてまいりました。(1972年4月)

川端康成2冊.jpg


 最近、ちくま文庫「文豪怪談傑作選 川端康成集 片腕」 (東雅夫・編 2006年7月10日第1刷)や、実業之日本社文庫「乙女の港」(2011年10月15日初版第1刷)で、久々に川端康成の世界に浸ることができました。(最も後者は、中原淳一の挿絵に魅かれて買ったものですが)

2)中野好夫
 1903年生まれ、1985年没の英文学者、評論家。
 評論家としては、以前の記事で触れました、「もはや戦後ではない」(『文藝春秋』1948年2月号)のタイトルが流行語になりました。
 英文学者としての著書もたくさんありますが、私にとっては翻訳家としてのほうがなじみ深いですね。

 岩波文庫で結構出ています。
 映画「地獄の黙示録」の原案、ということで食指が動いたジョセフ・コンラッド「闇の奥」や、マーク・トウェインの厭世観ただよう「不思議な少年」、「読みやすくなった岩波文庫」に改版されたのを機に入手したポオ「黒猫・モルグ街の殺人事件 他五篇」など、気づかないまま中野訳で読んでいました。

 ですが、これまで何回となく読み返した中野好夫の訳業といえば、「チャップリン自伝」(新潮社1966年初版 ※私の所持本は1973年の第11刷)。

 1972年か73年頃から、「ビバ! チャップリン」と銘打って、チャップリン映画の代表作の、リバイバル上映が始まりました。

 古臭い、とさほど興味もなかったのですが、高校の予餞会で「モダンタイムス」を見せられ、先入観がひっくり返りましたね。

 続いて映画館で「街の灯」「チャップリンの独裁者」…確かこんな順番で観ていって、すっかりチャップリン映画の面白さに魅了された私が、部活の友人から借りて読んだのが、ジョルジュ・サドゥール「チャップリン その映画とその時代」(鈴木力衛/清水馨・訳 岩波書店 1966年初版)。

 同じ頃、「淀川長治ラジオ名画劇場」というラジオ番組を欠かさず聞いていたのですが、チャップリンの回では特に熱のこもったしゃべくりが印象的でした。(毎回、ラジカセで録音していたので、実家に帰ればどこかにカセットテープが残っているかも知れない、今度探してみよう)

 この番組で淀川長治講演会の告知があり、本を借りた友人と連れだって、名古屋の公会堂に聴きにいったことがあります。
 講演に続いて「チャップリンの黄金狂時代」の試写があったのですが、告知になかったことなので、満員の聴衆からどよめくような歓声があがったことを思い出します。

 俄然、チャールズ・スペンサー・チャップリンという稀代の映画人に興味を抱きました。

 そこで書店で見つけたのが「チャップリン自伝」でした。

 四六判、細かい活字で2段組600ページの分厚いハードカバー。

チャップリン自伝.jpg


 読み応えのありそうな一冊ですが、感覚としては、久々に寝食を忘れ、受験勉強も忘れて(浪人生でした)あっという間に読了した…そんな書物です。

 その後ぐらいに「ライムライト」を観たと思うのですが、「自伝」に描かれたチャップリンの実像に、映像の中で造形された「チャーリー」像―いわば虚像―が、内面的な事象としては見事に一致することを認識した作品でした。

(いかん、またしても話が、どんどん逸れて行こうとしているではないか)

 チャップリン映画については、この記事のスピンオフとしてあらためてまとめてみたいと思います。

(この稿、次回に続く)
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