2019年04月29日

120字の読み物世界No.16~児童文学その3「続・太平物語」

 著者:福世武次 絵:佐藤広喜
 日本の子ども文庫8「続・太平物語」(講学館 1963年5月 初版)より

はやくエラクなろう、エラクなって父母や妹たちに楽させてやろう!進学の道を自ら絶ち、家族と別れて町へ出た太平。行くあても仕事口もなく、世間の風は冷たいが・・・持ち前の根性を発揮し、知恵を振り絞って歩む日々。誰もが声援を送りたくなる、少年太平の奮闘記。

続・太平物語.jpg


 今年1月に、「太平物語」を取り上げた折、懐かしさも手伝って、これを半世紀ぶり(笑)に読み返してみました。

 驚いたのはどの話も冒頭を読み始めるや、結末までの流れがすっかり甦ってきたことです。
 どこでどんな共感を抱いたか、当時の自分の心情までもが髣髴としてきました。
 年寄りは昨日の夕食の献立は忘れても、昔のことはよく覚えていると言いますが、私もその境地に差しかかったようです。

 これが面白かったので、その勢いで「続・太平物語」も手に取りました。
 
 前作は主人公・太平の四、五歳ごろから小学校を卒業する前後までの、様々なエピソードを連作風にまとめたものでしたが、続篇ではその後の約三年間の出来事を、長篇風に描いた作品です。

 前作「太平物語」の最後にある「雪の朝」という話―

 小学校の担任教師の尽力で、太平は小田原にある私立学校入学の道が開けるのですが、実はその教師が内緒で、相当な学費を援助するつもりであることを知った太平は進学を断念し、家を離れ自活しながら夜学に通おうという、悲壮な決意を固めます。

 旅立ちの朝、雪の降り積もった峠で、見送りの父と静かな別れを交わすところで「雪の朝」は終わります。

 その太平が浜松駅に着き、改札を出ていきなり、
 「どこか火事か人殺しでもあったみたいに、みんな目を光らせ、顔をこわばらせ、ものもいわずに、すれちがっていく」
 そんな人ごみにびっくりしながら、気後れすまいと心を引き締めるところから、「続・太平物語」は始まります。

 浜松は彼の住む村(おそらく現在の静岡県榛原(はいばら)郡吉田町あたり)から、そんなに離れた町ではありません。
 当時の交通事情からすれば、徒歩と鉄道利用とで、ちょっとした小旅行にはなったでしょうが、直線距離で60㎞ほどのところです。

 かつて東海道の宿場町として栄えた浜松市は、この物語の時代(昭和初期)になると、人口20万人前後を擁する地方の大都市になっていました。
 この近辺の町村に住む人々にとっては、東京にも勝る商工業の中心地、といったおもむきだったのでしょう。

 運よくというべきか、その日のうちに太平は、山のような荷を積んだ大八車を引く「はなたれ小僧」を手伝ったのをきっかけに、ある乾物屋に住み込みで働くようになります。

 「仕事は朝五時半から(夜中の)十二時まで。
  食事は三度。おやつ、休けい時間なし。
  一年中無休。
  月給、一円五十銭。
  これが太平のたいぐうだった」

 現代の感覚からすればこの労働条件は、想像を絶する劣悪ぶりです。
 ある指標によれば、月給一円五十銭を現在の貨幣価値に直すと二千数百円―実働30日間ですから、日給に換算すれば百円にもならない。
 「父母や妹たちに楽させてやりたい」などと言うのは夢のまた夢です。

 しばらくそこで頑張ったものの、主人の勘気に触れる出来事があり(太平が悪いわけではない)、乾物屋を飛び出して以降、情に厚い人たちとの出会いなどもあって、歯医者の書生まがいのことをしたり、夜学に通うようになったりして、次第に稼ぐことの難しさ、面白さを会得していくさまが描かれます。
 ときには前作にあったような、年少時のエピソードを織り交ぜながら物語は進みます。

 前作から成長した分、小学校時代の破天荒ぶりはすっかり鳴りを潜めているのが残念ですが、雇い主からきつい仕打ちを受けたり、良かれと思ったことが裏目に出たり、とんでもない誤解や失敗を繰り返しながら、「はやくエラクなろう」の一心で奮闘する太平の姿に、目頭が熱くなることもしばしばです。

 そのうち太平は、人にこき使われることに不合理を感ずるようになって、自分でお茶の行商の真似事を始めることになります。
 お茶の仕入は母方の親戚を頼ろうと、夜通し自転車を漕いでその家を訪ねるのですが、まだ夜明け前で寝静まっています。
 夜が明けるまでどこかで待とうと、彼の頭に浮かんだのが、すぐ近くにあるあばら家―3年前に出たきり一度も戻らなかった太平の我が家です。

 何をやってもうまくいかない―そんな気恥ずかしさから、家族には会わずこっそり様子だけ窺うつもりで立ち寄るのですが、いきなり母親に見つかって・・・
 我が子との邂逅に、うれしさのあまり取り乱す母の姿―

 久しぶりの家族との再会、そしてすぐに訪れるであろう再びの別れ―そんな場面で、この「続・太平物語」は終わります。

 太平は何も成し遂げておらず、将来への明るい展望が開けたわけでもなく、まだまだ苦難の道が続くことを思わせる幕切れです。

 私は最初にこれを読み終わったとき、おそらく次回作でこそ、何か心躍るような展開が待っているのだろうと期待しました。
 太平の健気な奮闘ぶりが実を結んで、父母や妹たちと、心の底から笑い合えるような日々が訪れるに違いない・・・

 しかし、その後の太平に出会う機会は、ついぞ訪れませんでした。

 出版されたのは正・続2冊きりだったのは確かのようです。
そもそも作者・福世武次に、その後の太平を書き繋ぐ構想があったかどうか―それを知る手がかりもありません。
 もしかしたら「続・太平物語」に引き続き、雑誌『日本の子ども』に連載されたものの、何らかの事情で書籍化されなかった、という可能性もないではないですが・・・(もしそうならば、ぜひ読んでみたいと思います)
 
 年少時に読んだときの好印象があるため、客観的にこの作品を評価するのは難しいですが、波乱万丈の立志伝という訳でもなく、深い感動で心揺さぶる教養小説という訳でもなく、どちらかというと片田舎の少年の、平凡な成長記―そんな範疇に納まる物語だと思います。
 これを読んだからと言って、生き方や人生を変えてしまうほどの力はないかも知れません。

 ですが、この太平が生きた時代、あるいはこの物語が書かれた時代は、大多数の日本人が貧しかった時代です。
 そして誰もが、せめて親兄弟が楽できるような暮らしを掴みたいと、日々奮闘した時代です。
 そんな時代のありさまを、太平と云う少年の目芽を通して、実に生き生きと活写しているとは思います。

 ごく私的な感想を述べさせてもらうなら、私の少年時代にこの本にめぐりあえたことは、おそらく現在の私の性格や信念を形成する上で、いくばくかの役割を果たしたのではないかしらんと、今になって思えるようになりました。
  
 ともあれ、太平と一緒に泣いたり笑ったり・・・数十年を隔てた当時と同じ気持ちで読み進めることができたのは、近年ではちょっと驚きの読書体験でした。
ラベル:福世武次
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2019年04月25日

「孤島の鬼」の同性愛趣味:乱歩と挿絵画家~番外篇その4

(承前)

 「孤島の鬼」は昭和4年(1929年)1月から翌年2月まで、博文館の月刊雑誌『朝日』に連載された長篇です。
 以前の記事でも、この傑作長篇に少し触れていますので、併せてご覧ください(『江戸川乱歩全集』第3巻より「孤島の鬼」「蜘蛛男」
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※画像は創元推理文庫版の「孤島の鬼」

 その中に、乱歩の同性愛的趣向が表出した場面があります。
 そもそも作品全体が、ハイテンションな筆致で綴られているのですが、この場面は特に、異様な熱気を孕んだ描写になっています。(もちろんあからさまな描写はありませんので、ご安心を―)

 主人公の私(蓑浦)と、彼を学生の頃から恋慕する友人・諸戸―

 物語の終盤近く、「南海の一孤島」に乗り込んだふたりは、悪賊の奸計で洞窟に閉じ込められてしまいます。
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※竹中英太郎挿絵(「孤島の鬼」より)

 生死を分ける極限的な状況の中で、諸戸は積年の恋慕の情を、蓑浦に打ち明けずにはいられなくなります。そして―
 
「蓑浦君、地上の世界の習慣を忘れ、地上の羞恥を捨てて、今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」

 ―と狂乱したように懇願するのです。
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※竹中英太郎挿絵(「孤島の鬼」より)

 しかし諸戸の思いのたけが報われることはありません。
 
私は彼の願いの余りのいまわしさに、答えるすべを知らなかった。・・・私は恋愛の対象として、若き女性以外のものを考えると、ゾッと総毛立つような、なんともいえぬ嫌悪を感じた

 ―と蓑浦は、激しく拒絶するのです。

 生か死か、そして愛と憎―

 この二重の葛藤渦巻く死地を、ふたりはなんとか切り抜け、やがて物語は大団円を迎えます。
 蓑浦はこの事件を通じ、まるで引き寄せられようにして、ある女性と結ばれます。

 その一方で失意の諸戸は、故郷の父母のもとに帰って行くのですが、ほどなくして彼が病没したとの知らせが、蓑浦のもとに届きます。
 「孤島の鬼」は、諸戸の父親が蓑浦に宛てた、その手紙の文面で締めくくられます。
 
道雄は最後の息を引取る間際まで、父の名も母の名も呼ばず、ただあなた様の手紙を抱きしめ、あなた様のお名前のみ呼び続け申候

 乱歩は自作解説の中で、
「この小説に同性愛が取り入れてあるのは、そのころ、岩田準一君という友人と、熱心に同性愛の文献あさりをやっていたので、ついそれが小説に投影したのであろう」
 と記していますが、それは表向きの言い訳に過ぎず、むしろ前回述べたような、同性愛への憧憬のようなものを、作品の中で表現せずにいられなかったのではないでしょうか。
 「ついそれが・・・」などではなく、確信犯的にそうした関係性や場面を、作中に盛り込んだように思われます。

 しかし「孤島の鬼」では、同性愛は成就することの叶わぬもの、という形で完結しました。

 それは悲劇的な成り行きで終わる物語のほうが、読者の心を揺さぶる―という、物語作者としての計算も働いたのでしょうが、そういう形でしか執筆し得ない事情があった―とも言えます。

 つまり当時の風潮として、同性愛を肯定したり称揚したりするような物語は、社会に受け入れられない、という事情のほうが、大きく作用したのではないかと思われるのです。

 「孤島の鬼」が連載された昭和4年頃は、ちょうど大衆文化-文芸、舞台・演劇、流行歌、風俗、遊興など―において、エロ・グロ・ナンセンスの時代と呼ばれる社会現象が起こった時期です。(エロ・グロ・ナンセンスの時代については、以前の記事(『江戸川乱歩全集』第4巻より「盲獣」)で少し触れました。

 その中心に猟奇耽異の徒、江戸川乱歩がいたわけですが、これらはまだ、官憲に睨まれつつも法治下で広まった現象です。

 しかしその裏側では、明治期以降抑圧されてきた男色が密かに復活し、秘密クラブやゲイバーのような場所で、男娼が客を引くことが蔓延り始めた、とも言われています。
 男色は、法的にも倫理的にも反社会的な、忌むべき行為だったのです。
 
 ですから乱歩が、「孤島の鬼」で同性愛を描くにしても、そうした否定的な風潮に沿った―乱歩にとっては不本意な―形で描かざるを得なかったのだ、と推測されます。

 そこで乱歩は―

 「孤島の鬼」では、無念にも成就させることができなかった同性愛のありさまを、別の形で心行くまで描いてみたい―

 意識的にか、無自覚にか、そう希求するようになったのではないでしょうか?

 「そうだ!」と乱歩の脳裏に、閃いたものがあります。「すでに読者にはお馴染みとなった明智探偵の物語に、新たなレギュラーを加えたらどうだろう」

 明智探偵に年少の探偵助手を配する。ふたりは師弟の絆強く、深い情愛で結ばれている。
 これなら外見上、まったく自然な関係性だ。ふたりの交流をどんなに細やかに描こうと、あらぬ疑いをかけられるおそれはない。
 
 いつしか乱歩の中には、「林檎の頬をした可愛らしく、リスのようにすばしこい」小林少年のイメージが、出来上がっていたのでしょう。
 次の作品あたりからこの少年を、明智探偵の訓導のもと、凛々しく活躍させてみよう―と。

 『朝日』で「孤島の鬼」の連載が終了し、難航した『文藝倶楽部』の「猟奇の果」も完結の目途が立ち、『講談倶楽部』ではそろそろ「蜘蛛男」の次回作を用意しなければなりません。
 乱歩は、その次回作である「魔術師」の構想を、おそらく「蜘蛛男」の連載が終盤に差しかかった、昭和5年(1930年)の春ごろから練り始めたものと思われます。

 彼はその構想段階で、明智探偵の愛弟子となる小林少年の人物像―その生立ち、来歴、境遇、そして「魔術師」のなかでの役割など―を念入りに設定しました。

(次回に続く)
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2019年04月24日

「乱歩打明け話」から:乱歩と挿絵画家~番外篇その3

(承前)
 いつもの癖で、まずは少し寄り道を―

 江戸川乱歩の随筆に、「乱歩打明け話」というのがあります。

 その随筆に、中学生の頃の彼は「ええ子、ええ子」(美少年の意味)と皆に囃し立てられる、稚児さん的存在だったと記しています。
 あるとき彼は、優等生で武道にも秀でた、これまた美少年の同級生から付け文をもらい、恋愛めいた(もちろんプラトニックな)交際が始まった・・・というような、ちょっと気恥ずかしい体験談を懐かしげに書いているのです。

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※平井太郎(江戸川乱歩) 愛知県立第五中学校(現・瑞陵高校)卒業アルバムより


 この頃の写真で見る限り、端正で利発そうな顔立ちですが、現代の感覚でいう美少年のイメージからは、若干外れているような気がしますが・・・(大正から昭和初期にかけて活躍した画家、高畠華宵の描く美少年はこんな感じかな)

 次も乱歩の、別の随筆に因んだ話。

 乱歩は作家になる前に、三重県鳥羽に住んでいたことがあります。
 大正6年(1917年)の暮れごろから1年余り、鳥羽造船所の庶務係に籍を置いていたのです。

 この時期に彼は、坂手島で小学校の教員をしていた、村山隆(りゅう)という女性と懇意となります。のちの乱歩夫人です。
 さらにもうひとり、彼はここである重要な人物と知己を得ることになりました。
 彼より七、八歳ほど年下の、画家志望の青年―

 乱歩が造船所を退職して上京すると、その交友も途切れてしまうのですが、何年かのち作家となった乱歩のもとをこの青年が訪ね、旧交を温めることになりました。
 大正14年(1925年)頃のことです。
 そのときに初めて、お互いに共通の趣味があることが分り、以前に増して親密となりました。ふたりは各地に出向いては、その趣味の文献の渉猟を始めるのです。

 この青年というのが、岩田準一。

 明治33年(1900年)、三重県志摩郡鳥羽町(現・鳥羽市)に生れ、竹久夢二に師事して画家となるも、より精根傾けたのが民俗学の研究。
 柳田國男主宰の『郷土研究』に寄稿したり、南方熊楠と書簡のやり取りしながら、その研究の精華ともいうべき書、「本朝男色考」および「男色文献書志」を著しました。
 しかし昭和20年(1945年)、その業績が正当に評価されないまま、空襲下の東京で病没しています。享年45歳でした。

 乱歩作品の挿絵も何点か描いています。

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※岩田準一挿絵(「パノラマ島奇譚」より)

 余談ながら、彼の生家は現在、鳥羽みなとまち文学館(江戸川乱歩館)となって、彼自身の絵画や研究資料、交流のあった乱歩や夢二との書簡などが展示されています。

鳥羽みなとまち文学館(江戸川乱歩館).jpg

 ※鳥羽みなとまち文学館
http://rampomuseum.com/minatomachi/


 私は昨年の春、鳥羽まで出かけながら、ちょうどこの文学館の休館日という不運に巡り合わせ、残念な思いをしました。

 それはともかく、江戸川乱歩と岩田準一の共通の趣味というのが―

 薄々お分かりかと思いますが、男色文献の蒐集というわけです。
 ふたりで東京、名古屋、京都などの古書店を巡っては、この類の文献を買い漁ったり、つれづれに「衆道歌仙」と題した連句を吟じたり―と、同好の士として深い交流を結んだのです。
 乱歩は年下の準一を、男色文献研究の師と仰いでいました。

 「同性愛文学史―岩田準一君の思い出」という随筆に、乱歩はこの頃のことを、懐かしげに綴っているのです。

 ちなみに乱歩の著作ではないですが、このふたりの交流を描いた小説作品が近年になって登場しました。
 「二青年図―乱歩と岩田準一」(新潮社 2001年刊)がそれで、著者は準一の孫娘の、岩田準子という方。
 私は未読なのでなんとも言えないのですが、このふたりが同性愛の間柄だった―というような設定らしく、それはどうかなあと思うところがあります。

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2019年04月22日

小林少年の謎:乱歩と挿絵画家~番外篇その2

 「乱歩と挿絵画家」では、私の中学時代に愛読した講談社版『江戸川乱歩全集』(昭和44~45年刊 全15巻)の各巻に付された挿絵について、駄文を綴っています。

 順番から行くと全集第5巻所収「吸血鬼」の、古沢岩美描くところの挿絵を取り上げ、簡単なコメントを添えるべきところなのですが、前回は少し趣向を変え「魔術師」と「吸血鬼」―この2作品に纏わるある疑問について、私なりに考察を試みた顛末を記しました。

 そもそもその疑問と云うのが私の誤読にもとづくものでしたので、考察そのものが無意味だった―という結論に至ったわけですが。

 怪我の功名というか瓢箪から駒というか、そんな文章を捻くり回しているうち、今度は「吸血鬼」で明智探偵の助手として初登場する小林少年について、何かしら釈然としない不可解な点がいくつもあることに気づいたのです。しかもそれらを突き詰めていくと、とんでもない仮説が浮上するという・・・

 まあ、これも牽強付会の説と一笑に付されるのがオチかも知れませんが、面白そうなのでしばらくこの話題を続けていきたいと思います。
 
 さて「吸血鬼」は、昭和5年(1930年)9月から翌年3月まで『報知新聞夕刊』に連載された長篇で、明智探偵事務所のトリオ―すなわち名探偵明智小五郎と、探偵助手の文代さん、同じく小林少年の三人―が揃い踏みした、初めての作品です。

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※こちらは創元推理文庫版「吸血鬼」( 1993年12月初版)
 連載当時の挿絵を全点収録していて楽しい作りになっています。

 明智小五郎は、大正14年(1925年)の「D坂の殺人事件」で初登場以来、「吸血鬼」発表までにおよそ十指に余る難事件の数々を解決、華々しい活躍を見せてきました。
 これらの作品では、成り行きで助手的な役割をする登場人物はいたかも知れませんが、正規の助手はいませんでした。

 ところが明智探偵は、「魔術師」の頃から住居兼用の事務所を構え本格的な探偵業を始めると、次の「吸血鬼」では助手まで抱えるようになるのです。それも、いちどきにふたりも―

 その助手のひとり、文代さんに関して言えば―
 前回の記事(あだしごと~「魔術師」と「吸血鬼」をめぐって)で触れましたが、彼女は「魔術師」事件に関わる主要人物であり、その結末に至ってその生立ちや来歴も明らかにされ、探偵助手になった理由や経緯も詳しく説明されています。

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※明智探偵と文代さん、初のご対面(挿絵:岩田専太郎 「魔術師」より)

 それと引き比べ、よく判らないのが小林少年です。

 「吸血鬼」では奇怪な事件に巻きこまれた依頼人が、お茶の水の開化アパートに明智探偵を訪ねる場面が出てきます。
 ここが名探偵の住居兼事務所、というわけです。

三谷がドアを叩くと、十五六歳の、林檎の様な頬をした、詰襟服の少年が取次に出た。名探偵の小さいお弟子である

 これ以降、作中で小林少年はみごとな活躍を見せるのですが、彼自身の素性が詳しく言及されることはありません。
 唐突感が否めないのです。

 その後の作品でも、小林少年は頻繁に顔を出し、少年探偵団シリーズでは、主役級の扱いで活躍します。

小林少年(「怪人二十面相」より 画:小林秀恒).jpg

※少年探偵団結成時の小林少年(挿絵:小林秀恒 「怪人二十面相」より)


 これらの作品で、彼の素性などについて断片的に語られることはあります。例えば、下の名前は芳雄、とか、どうも両親はどこかに健在らしい、とか・・・
 それでも、そうした情報をすべてつなぎ合せても、全体像が見えてきません。
 謎の多い人物のままなのです。

 乱歩作品を濫読していた頃は、筋を追っかけるのに忙しくて気にも留めなかった小林少年の存在が、あとから全体を見渡しながら考えると、釈然としない、とても不思議なことに思えてきたのです。

 もっとも、順不同でこれらの作品を読み漁る読者にとっては、彼の存在は既定の事実、お約束の設定として映るだけなので、ことさら説明は不要―ということなのでしょうが。

 それにしても「吸血鬼」は、初登場作品です。
 彼の素性なり境遇、あるいはその登場の背景なり経緯が、この作品だけにでも、もう少し詳しく語られてもよさそうなものです。
 同じ探偵助手の文代さんと比べ、実にアンバランスな扱いです。
 
 小林少年は―
 どんな素性で、どんな事情を抱えた少年なのか?
 明智探偵とは、どんな間柄なのか?
 どんな経緯で探偵助手になったのか?
 親はどんな人物なのか、住まいはどこなのか、学校へは通っているのか、助手としての報酬は貰っているのか?
 作者にとって、どんな役割を期待され、造形された人物なのか?
 まず大人向けの作品から登場したのはなぜなのか?

 冒頭に記したとおり、「魔術師」や「吸血鬼」について駄文を綴りながらそんなことを考えていると、忽然とある仮説が浮かんでまいりました。

 実に馬鹿げた仮説なのですが、場つなぎに少し掘り下げてみても面白そうだ。そんな気にもなりました。
 ですから恥を忍んで、ここに提示したいと思います。
 それは―

 文代さんと小林少年は同一人物である。

 ―という仮説。
 そんなアホな、と言われそう―いや間違いなく言われているに違いないですが。

 次回から、この仮説の検証を行いたいと思います。
 期待せずに待たれよ、です。

(次回に続く)
posted by Pendako at 09:53| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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