2019年03月11日

映画「さびしんぼう」をめぐる、よしなしごと

 先日、大林宣彦監督の映画「さびしんぼう」について、2回に亘りブログ記事を投稿しました。

  120字の映画館No.17~大林宣彦その2 「さびしんぼう」

  120字の映画館No.18~大林宣彦その2 「さびしんぼう」(続き)

 言いたいことはそれでほぼ尽きたのですが、これらをまとめるなかで、端折ったことがらもいくつかあります。

 駄文ながらこのまま埋もれさせるのも忍びない―そんな気がして、今回はそんなよしなしごとを、だらだらと書き留めていきたいと思います。(なお同じ監督の、「転校生」(1982年)に関する言及も含まれます)

  120字の映画館No.15~大林宣彦その1 「転校生」 も併せてどうぞ。

 「さびしんぼう」(1985年)は、監督の自伝的要素を多分に含むと言われる、ノスタルジックな初恋物語です。

 ただこの映画の具体的な腹案を、監督が長年温めてきた末に作品化した―というわけでもないらしく、富田靖子さんの、学校の冬休みに合わせて何か一本撮ろうと、ある意味即席に企画された映画だったそうです。

 ですから、準備期間や別撮りを除いて、彼女自身がロケ地・尾道で、直接撮影に関わったのは2週間足らずのことだったと思われます。
 それにしては、タイプの異なるいくつもの役柄をなんなくこなした、女優としての力量には感心します。

 このとき「アイコ十六歳」のデビューから2年後、ヤスコ十六歳。
 そして完成した映画は、(私的には)歴代ベストテンに連なる名作となりました。

 ちなみに、この年のキネマ旬報の日本映画ベスト・テンでは、「それから」(森田芳光監督)、「乱」(黒澤明監督)、「火まつり」(柳町光男監督)、「台風クラブ」(相米慎二監督)に続く第5位ですが、読者選出日本映画ベスト・テンでは第1位に輝いていますね。
 私は後者を圧倒的に支持します。(一応、上に挙がった映画は、すべて観た上での評価)

 それはともかく、富田靖子さん。

 当時は所属事務所の方針でしょうか、アイドルタレントとして売り込もうとしていたようで、テレビのドラマや歌番組ではそんな立ち位置での出演が多かったですね。

富田靖子.jpg
※秘蔵(笑)の富田靖子コレクションより

 この頃、深夜枠で放映されていた「冗談ストリート」(TBS制作)というテレビドラマがありました。
 三宅裕司主宰のスーパーエキセントリックシアターの面々が、多数出演するコメディです。

 ここに、富田靖子さんが本人の役で出演した回がありましたが、そこでもアイドル歌手の裏話的な内容になっていました。(どこかに録画ビデオが残っているはず)

 ですから、映画女優としての実力を知らない人が、テレビ番組などで彼女を見かければ、なんとなくアイドル芸能人の、あまたひしめくなかのひとり―そんなふうに映っただけかも知れません。

 同じ裏話でも、彼女のデビュー作「アイコ十六歳」のメイキング映像「グッバイ夏のうさぎ」は、正統派本格女優誕生の瞬間に立ち会うような、秀逸なドキュメンタリーになっていて、私などは本篇よりも、こちらのほうに感銘を受けたくらいです。

 このときのイメージを、もっと深めていくような路線で育てられていれば、彼女の映画女優としてのキャリアは、もう少し違ったものになったと思われます。

 もちろん「さびしんぼう」、「BU・SU」、「あ・うん」、「南京の基督」などは、本格女優の片鱗を十分に窺わせる作品群でしたが、それ以降、これらを凌ぐような代表作はないように思われるのです。(あまり観ていないのでなんとも言えませんし、テレビドラマでの活躍は別の話ですが)

 それだけに、先日映画館で観た「めんたいぴりり」(江口カン監督2019年)で、主演女優としての彼女の、弾けるような力演ぶりをまのあたりにしたときは、うれしく思ったものです。

 そのあたりの話は、以前の記事 「めんたいぴりり」ばみんしゃい!~富田靖子さんのことなど でどうぞ。

 余談ですが、彼女は「さびしんぼう」当時、私が住んでいた家から、徒歩5分ぐらいのところの高校に通っていたそうです。
 残念ながらそうしたオタク情報には恵まれず、望遠カメラ片手にドキドキしながら付近を徘徊した―というようなことはございません。
 最寄駅は同じなので、通勤途中に知らずとすれ違っていたかも知れませんが・・・
 
 さて、次にヒロキ役の尾美としのり―

 映画デビューは、市川崑監督「火の鳥」(東宝・火の鳥プロダクション 1978年)での準主役。
 もちろん手塚治虫「火の鳥~黎明篇」の映画化です。

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posted by Pendako at 13:33| Comment(0) | 断想・箸休め | 更新情報をチェックする

2019年03月08日

120字の映画館No.18~大林宣彦その2 「さびしんぼう」(続き)

(承前)
なんだかへんて子.jpg

 ※原作の山中恒「なんだかへんて子」(偕成社 1985年04月初版)

 さて―

 「さびしんぼう」というのは、大林宣彦監督の造語です。

 「ひとを恋するとき、ひとは誰でもさびしんぼうになる」

 ―という主人公の独白が劇中に出てきますが、なんとなく分るような、分らないような・・・

 憧れの対象を希求するとき―とくにナイーブな少年や少女が初めて人を恋するとき、彼らの中に不安定な感情のゆらめきが生じます。

 あこがれ、ときめき、おそれ、もどかしさ、切なさ、割り切れなさ、ほろ苦さなど、さまざまな気持ちがないまぜになり、相手のちょっとした素振りにも、敏感に揺れ動く心の状態です。
 それを大林監督は、「さびしい」と表現するのです。
 
 そうした感情を抱きながら鬱々とする彼らを「さびしんぼう」と言い、転じてその感情を引き起こす、憧れの対象をも「さびしんぼう」と呼ぶ。
 そんな意味合いの造語だと思います。

 正直なところ私個人としては、人前で口にするのは、ちょっと面映い言葉ではありますが・・・

 ところが少年少女の初恋が、順調に成就することなど極めて稀で、大抵は失恋の痛手を抱えたまま成長することになります。

 時を経て、歳を重ねるうちに、失恋に傷つくほど純粋で無垢な心などいつしか消え去り、やがて若干の妥協のもと家庭を持ち、子に口やかましい親となる・・・

 それでもふと、はるか昔のあの頃を追憶すれば、セピア色に変色してはいるものの、そこには自分だけの「さびしんぼう」がひっそりと息づいている―

 この映画は、そんな追憶に浸るきっかけを観客自身に与えてくれる―つまりこれこそが映画「さびしんぼう」のテーマだと思われます。

 そのテーマに沿って捉えなおすなら、「百合子篇」と「へんて子篇」―ふたつの物語は、連綿と続くひとつの物語の、前篇と後篇という見方もできるのです。(もちろん時系列や人物の異同は無視しての話)

 外見上はまったく色合いの異なるふたつの物語が、違和感なく併存することができる所以だと思います。

 いささか牽強付会気味に申せば、ヒロキの「さびしんぼう」である橘百合子―

 橘の花言葉は「追憶」、百合の花言葉は「純粋・無垢」

 このセピア色にくすんだ初恋物語のヒロインに、実にふさわしいネーミングではありませんか。

 それはともかく、ヒロキと百合子、ヒロキとさびしんぼう―いずれの関係も、痛切なほど哀しい結末を迎えます。

 ですが、この映画にはエピローグが添えられています。

 哀切の余韻に沈んだ映画館の観客は、おそらくここで深く安堵し、幸福感に包まれたことでしょう。

 人を想い、人に想われる・・・その都度「別れの曲」が繰り返されるものの、この営みは次々と連環しながら、永遠に続くことを暗示させる、そんな幕切れです。
 
 百合子とさびしんぼうの二役をこなした富田靖子さんが、さらにふたつの役柄で登場しますが、それは観てのお楽しみ―ということにいたしましょう。

 私が最初にこの映画を観たのは、封切り時(1985年4月)、渋谷東宝においてでした。

 第1回の東京国際映画祭がもうじき開催される―ということで、なんとなく渋谷の街が湧き立っていた頃のことです。

 私はというと、同時開催の東京国際ファンタスティック映画祭のほうに注目しており、その前売りチケットを入手しようと渋谷に赴いたついでに、「さびしんぼう」を観たような気がします。

 いつも心の片隅に大事にとっておきたい、思い出の映画になりました。
posted by Pendako at 11:15| Comment(0) | 120字の映画館 | 更新情報をチェックする

2019年03月07日

120字の映画館No.17~大林宣彦その2 「さびしんぼう」

 監督:大林宣彦
 製作:アミューズ/東宝 1985年
 出演:富田靖子、尾美としのり、藤田弓子、小林稔侍
 原作: 山中恒「なんだかへんて子」

面影を心のフィルムに焼き付けて―ひとりの少年の、憧れの美少女に寄せる想いは、「別れの曲」の調べに乗って切なく揺蕩う・・・と思いきや、変てこ少女さびしんぼうが現れて、大騒動を巻き起こす!この少女は何者?風に舞った古ぼけた写真に秘められた、もうひとつの恋物語とは?

さびしんぼう.jpg


 大林宣彦監督の故郷、広島県尾道市を舞台にした三部作の、「転校生」「時をかける少女」に続く第3作目。

 この映画は、もちろんカラー作品ですが、映画全篇に亘って画面の色調が、微かにセピア色にくすんでいることを、まず指摘しておきたいと思います。

 記憶のフィルムに写し撮った若き日の情景を、はるか後年に追憶するという、ノスタルジックな物語。
 映画の観客をその世界にいざなう、大林監督の映像マジックです。

 この映画の魅力や仕掛けについて語ろうとすると、どうしても物語の内容に言及しないわけにはいきませんので、当ブログの趣旨に反しますが、まずは簡単にあらすじから―

 寺の住職のひとり息子で、高校二年生のヒロキ(尾美としのり)を主人公に、冬のあいだに起こったふたつの物語が並行して語られます。

 便宜上このふたつを、「百合子篇」と「へんて子篇」としておきましょう。

 「百合子篇」は、監督自身の体験を色濃く反映した(と思われる)、初恋と失恋の物語。

 ヒロキの憧れのマドンナは、高台から見下ろす女子高の生徒で、放課後の教室でいつもピアノを弾いている美少女、橘百合子(富田靖子)です。(この時に流れるショパンの「別れの曲」は、以降全篇に亘ってリフレインされます)

 しかしヒロキは、その姿をカメラの望遠レンズ越しでしか、拝むことができません。
 あるいは、海を隔てた向島から渡船と自転車とで学校を行き来する彼女の通学姿を、せいぜい遠目から追いかけるだけ。

 ヒロキは、冬休み中になんとかきっかけを掴んで百合子に手渡そうと、クリスマスプレゼントまで用意するのですが、渡す機会はおろか口を利くこともままならないうち、冬休みが終わります。

 ですが二月に入ったある日、ヒロキに僥倖が―

 自転車のチェーンが外れて難儀する百合子に出合わせたヒロキは、その修理を申し出ます。
 このときふたりのあいだに初めて会話が交わされ、成り行きでヒロキは、彼女を向島の家近くまで送っていくことになるのです。

 尾道の美しい情景と相まって、同道するふたりの初々しくも、しだいに心を通わせていく姿が微笑ましい、実に特筆すべき名シーンです。

 この夢のような出会いに有頂天となったヒロキ。

 ところが、その後の百合子の態度はつれなくて・・・ヒロキはしばし茫然とするばかり。

 そしてそんなある日ヒロキのもとに、百合子からチョコレートの小箱が送られて来るのです。
 訣別の手紙が添えられて。

 彼女には、誰にも知られたくない秘密があるようです。
 意を決したヒロキは、その日の夕刻、百合子に会いに向島に渡るのですが、そこで彼が見たものは?

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posted by Pendako at 22:13| Comment(0) | 120字の映画館 | 更新情報をチェックする
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