2018年12月13日

120字の映画館No.14~黒澤明その5 「素晴らしき日曜日」

 監督:黒澤明
 出演:沼崎勲、中北千枝子
 製作:東宝 1947年

敗戦直後の、荒廃と復興が鬩ぎあう東京の街角。二人合わせて35円のデート資金が、5円10円と減るうちに、夢は萎んで行くばかり・・・現実への憤り、将来への幻滅、そして二人に訪れた破局の危機―しかし、野外音楽堂に希望の灯は点る!観終わって心和む、いじらしくも愛すべき佳篇。

素晴らしき日曜日・映画ポスター.jpg


 ある春先の日曜日、恋人同士の待ち合わせから終電の別れまで、まる一日のデートを描いた作品です。
 貧しい二人、その日の持ち金は合わせて35円(現在に換算すると2,000円程度?)、これで「素晴らしい日曜日」を過ごそうというわけです。

 シケモクなんて言葉はもはや死語でしょうが、この映画の開巻、主人公・雄造が恋人・昌子を待ちながら、道端に落ちた吸殻を、物欲しそうに眺めているところから始まります。
 意を決して拾い上げようとしたところに、昌子が到着しそれを咎める―という、うらぶれた雄造の品格が辛うじて保たれる、秀逸なシーン。

 映画は、このカップルのその日のできごとを、ときにコミカルにときに深刻に描いていきます。
 ですが、彼らが行く先々で味わうのは、惨めさ、痛ましさ、失意ばかり―終いには二人の関係にも、ひびの入る事態になるのですが・・・
 最後に用意された野外音楽堂のシーンで、黒澤監督は冒険的な演出を試みました。

 暗鬱な気分に沈む雄造を慰め、励ますため、昌子は架空の演奏会を提案します。(ダフ屋のチケット買い占めで、楽しみにしていた市民ホールの演奏会を諦めた・・・というエピソードを踏まえてのこと)
 指揮者は雄造、聴衆は昌子、ほかに誰もいない二人きりの演奏会です。曲目はシューベルトの未完成交響曲。
 雄造の揮う指揮棒が、果たして昌子の胸に交響楽を鳴り響かせることができるか?
 舞台の中央に立ったものの、彼は逡巡します。昌子に促されても躊躇が先に立ち、なかなか始められません。もしも何も聞こえなかったら、それは二人が破局するとき・・・そんな恐れがあったのでしょう。
 ですが昌子は、決然と訴えます。

 誰に?―この映画を観る観客に、です。彼女はカメラを真正面に見据えて、切々と訴え始めるのです。

 指揮者に勇気を、私たち二人に声援を―と。

 この映画を私は、かれこれ40年以上昔、満員のオールナイト興行で初めて観たのですが、このシーンになったとき戸惑ったような、パラパラとした拍手が起こりました。
 しかしそれが呼び水になったのでしょう。すぐさまもの凄い拍手が、場内から湧き起って来ました。
 映画館は共感の場だ―ということを実感できた、実に貴重な体験でした。
 黒澤明の目論見は、少なくともこの夜に限っては大成功だったのです。

 さて映画は、冒頭のシーンに対比される形で締めくくられます。雄造は昌子を見送ったあと、また煙草の吸殻に目を止めるのですが、すぐさまそれを踏みにじります。
 雄造は矜持を取戻し、二人の希望も途切れることなく、明日に繋がることを暗示して、物語は終わります。
 清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだときのような、清新な気持ちにしてくれる映画。全篇緊張と気迫漲る力作・大作の合い間に、ふと観返したくなる、愛すべき小品です。
 戦後間もなくにつくられた映画。予算の都合上、ほとんどがロケ撮影なので、東京の街の様子がありのままに映し出されます。今となっては、当時の貴重な記録映画として見ることも一興です。

 主演の二人について。

 雄造役の沼崎勲(1916年~1953年)を、私はこの映画以外で見かけたことはありません。東宝で幾つかの作品に出演、東宝争議のごたごたで東宝を離れてから、独立プロ系の作品にも幾つか出演したようですが、何といっても代表作は「素晴らしき日曜日」でしょう。飄々とした風貌が、映画が深刻になりすぎるのを抑えていて、適役だと思います。

 昌子役の中北千枝子(1926年~2005年)は、この作品では恋人に気遣いながらも、提案したり励ましたり意見したりと、常に雄造をリードする役柄を好演しています。
 黒澤作品では他に、「酔いどれ天使」と「静かなる決闘」で重要な役どころを演じ、それ以外にも映画、テレビドラマに脇役で多数出演。私も良く拝見しました。この女優さんが顏を見せると、なぜかほっとしたものです。
 ある年代以上の方には、「ニッセイのおばちゃん」でお馴染みですね。

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2018年12月10日

120字の読み物世界No.12~ロバート・シェクリイ 「ひる」

 著者:ロバート・シェクリイ 訳者:宇野利泰
 原題:The Leech
 異色作家短篇集(新装版)9「無限がいっぱい」(早川書房 2006年5月 初版)より

空から飛来した“ひる”の胞子は、ちっぽけな塊だった。だが日増しに膨れ上がり、たちまち直径数㎞に。軍隊はやみくもに火器攻撃を浴びせるも、かえって“ひる”の膨張に拍車はかかる!なぜなら“ひる”の栄養源は・・・ やがて地球を呑みこむほどに巨大化する、宇宙ひるの成長記!!

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 私が初めて買ったハヤカワSFシリーズは、グロフ・コンクリン編「宇宙恐怖物語」―確か中学1年の夏のことでした。
 小・中・高と、例年夏休みになると数冊の本を携え、信州にある祖父母の家や従兄弟の家に数日間ずつ居候しながら、読書三昧に耽る慣わしで、中一の夏は「宇宙恐怖物語」での暑気払いとなりました。
 そのなかの一篇が、ロバート・シェクリイの「ひる」です。

 この本には他にも、レイ・ブラッドベリ、リチャード・マティスン、シオドア・スタージョン、アイザック・アシモフ、フィリップ・K・ディック、ロバート・A・ハインライン、フレドリック・ブラウン・・・錚々たる作家の傑作短篇がぎっしり詰まり、SF初心者には格好の入門書でした。
 これを皮切りに、同じシリーズの「刺青の男」(ブラッドベリ)、「動乱2100」(ハインライン)、「鋼鉄都市」(アシモフ)、「発狂した宇宙」(ブラウン)、「海竜めざめる」「さなぎ」(ウィンダム)・・・
 新設されて間もない創元推理文庫SF部門の「マラコット深海」(コナン・ドイル)、「透明人間」(ウェルズ)、「宇宙船ビーグル号の冒険」「イシャーの武器店」(ヴァン・ヴォークト)、「トリフィド時代」「時間の種」(ウィンダム)など・・・
 海外ミステリと並行して、海外SFの領域にも大きくのめりこんで行く破目になりました。
 こうして思い出せるものを挙げていくと、当時は英国の渋めの作家、ジョン・ウィンダムがお気に入りだったのかなと思います。

 その大事にしていたはずの「宇宙恐怖物語」ですが、人に貸したままになったのか、早まって古本屋にでも売り払ったのか、いつの間にか私の本棚から消えていました。

 ですから上掲の「無限がいっぱい」で「ひる」を読み返したのは、初読から何十年ぶりということになります。
 さすがにそのブランク中に、いくつもの類話に接してきた分、恐怖物語というより気宇壮大なホラ話、オチも使い古された常套手段・・・の感は否めませんでしたが、「ひる」こそがそれらの原点であることを考えれば、古典SFとして歴史的価値の高い作品だと思います。
 
 初読時に気づかなかったものの、SFファンの間では有名だったのが、『ウルトラQ』の「バルンガ」との類似性。もちろん「ひる」のアイデアを元ネタにして、あの風船怪獣を造形したものです。

 バルンガは空中に悠然と浮いているだけで、その巨大さゆえ空を仰げば必ずその不細工な姿が視界に入ってしまう邪魔っけさはありますが、人々に直接的な危害を加えるものではありません。(まあ、近くを飛行する航空機などは墜落してしまいますが)
 片やこちらの“ひる”は、地上に腰を据えたまま巨大化していく怪物。周囲の町やら人やらをどんどん押し潰し、しまいには地球を呑みこんでしまう勢いです。人類存亡の危機となるわけですから、人間も必死です。最終的にすごい作戦を捻くりだして、“ひる”を大気圏外におびき出すことに成功するのですが・・・
 結末の不気味さから言えば、石坂浩二の予言めいたナレーションが締めくくる、『ウルトラQ』に軍配が上がるでしょうか。

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2018年12月09日

120字のブラウン管No.2~『ウルトラQ』その2 「バルンガ」

監督:野長瀬三摩地 監修:円谷英二 特技監督:川上景司 制作:円谷プロダクション/TBS
主演:佐原健二・西條康彦・桜井浩子
放映:1966年3月13日

土星探索ロケットが地球に持ち帰ったのは、とんでもなく大喰らいの怪物だった!風船のように宙を漂い、ありとあらゆるエネルギーを吸い取り、とめどなく膨れ上がり・・・すべての攻撃が栄養源となる!!シュールで奇怪でユーモラスな怪獣は、地球を呑み込むまで居座り続けるのか?

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 私は『ウルトラQ』全エピソードのなかで、とりわけこの「バルンガ」には印象深いものがあります。
 とてもシュールな怪獣で、シュールな展開で、シュールな結末でした。
 物語には、小学生でも理解できるほど、明確なメッセージが込められていました。
 しかしそれ以上に、日常世界(東京のビル群)の上空に悪夢(バルンガ)の浮いているイメージが、混沌とした薄気味悪さを感じさせましたね。

『ウルトラQ』には怪獣が出現して、これを人間が倒す・・・というパターンの話は「宇宙からの贈りもの」、「ペギラが来た!」、「SOS富士山」、「虹の卵」などたくさんあり、怪獣少年の嗜好を大いに満たしてくれました。
「バルンガ」もそのひとつではありますが、怪獣の造形としては異色中の異色でしょう。
 シュークリームのような外観、体表には無数の触手が生え、それがいやらしくモゾモゾ蠢きます。その異様な姿が、東京の上空に浮かんでいるのです。
 また、この怪獣があらゆるエネルギーを食料として無限に成長していくというアイデアも秀逸です。(元ネタがあるのですが、それをばらすのは別の回に)
 従って、砲撃やミサイルで撃ち落とそうとしても、かえって栄養を与えるようなもの・・・と、エネルギーの大量生産、大量消費で成り立つ現代社会への痛烈な風刺にもなっています。
 このバルンガ撃退方法と云うのが、奇策ではありますが如何にも理に適ったもので、壮大なスケールを感じさせるラストになりました。
 ついでに言えば、エンディングに流れるナレーションが不気味な(現代文明の)終末を暗示して、忘れがたい余韻を残すのです。
 要するに「バルンガ」は、怪獣ドラマというより、実に考え抜かれたSFドラマに昇華した傑作だと思います。

 脚本は虎見邦夫で、『ウルトラQ』ではこれ一本しか担当していないようです。この方に関して、手持ちの資料では詳しいことが分りませんでしたが、『ウルトラQ』放映終了後まもなくに、若くして亡くなられたようです。
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2018年12月07日

120字のブラウン管No.01~『ウルトラQ』その1 「ゴメスを倒せ!」

 監督:円谷一 監修:円谷英二 制作:円谷プロダクション/TBS 
 出演:佐原健二、西條康彦、桜井浩子
 放映:1966年1月2日

トンネル工事中に口を開けた巨大な洞窟―現れたのは古代怪獣ゴメスだった。別の洞窟で発見された蛹からは、原始怪鳥リトラも誕生!寺の古文書が示すとおり、やがて二匹の怪獣は、宿命の対決を繰り広げる!ウルトラ・シリーズはここから始まった!!記念すべき第1回放映作品。

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 かつて怪獣ブームというのがありました。(第二次怪獣ブームというのもあるそうですが、ここで言うのは昭和40年代前半に起こった第一次のことです)
 それまでは、東宝が年に二、三本の特撮映画を製作するほか、ようやく大映が「大怪獣ガメラ」(1965年 湯浅憲明監督)を手掛けただけで、怪獣が娯楽映画の主役とは言いがたい状況だったと思います。子どもの需要は一定以上あったかと思いますが、観覧料を払って親子同伴で観るにはそれなりに出費が嵩み、映画館に出かける頻度は限られたからでしょう。
 同じ時期に「テレビっ子」という言葉が生まれたように、日常的な子どもの娯楽は、テレビ番組にシフトしていました。そんなテレビ界の状況を窺うのは当然のことで、円谷英二が長年映画界で培った特撮を引っ提げて、テレビ界に乗り込んだわけです。それが『ウルトラQ』です。
 もっとも企画段階では、『ミステリー・ゾーン』や『アウター・リミッツ』といったアメリカのSF&ファンタジー系のテレビ・ドラマの味を狙って進められたのですが、制作途中で怪獣路線が大幅に加味された、という事情がありました。(そのため『ウルトラQ』には、怪獣を主体としたものの他、SF色の濃い怪獣もの、純然たるSF&ファンタジー・・・とテイストの異なるエピソードが混在します)
 怪獣路線への変更は結果的に大成功で、円谷プロダクション/TBS制作の『ウルトラQ』(1966年1月~7月 全28回)は、驚異的な視聴率を弾き出しました。
 のちに延々と紡がれるウルトラ・シリーズの嚆矢となったばかりか、他の制作会社も怪獣の登場する特撮ドラマを続々と作り始め(『マグマ大使』『キャプテン・ウルトラ』『仮面の忍者赤影』など)、一大ブームの観を呈しました。
 これが逆に映画界にも波及し、大映でガメラ・シリーズの続編や大魔神シリーズが制作されたほか、東映「怪竜大決戦」、日活「大巨獣ガッパ」、松竹「宇宙大怪獣ギララ」・・・と新怪獣が次々と登場する活況ぶり。
 週刊マンガ誌の表紙やグラビアにも怪獣のオンパレード。プラモデル、ソフビ人形、図鑑、ノート、下敷き・・・と、身の回りには怪獣キャラクターが大氾濫、という状況になりました。すべては『ウルトラQ』が始まり―
 私は幸か不幸か、この怪獣ブームど真ん中の世代です。

 さて「ゴメスを倒せ!」ですが―
 放映前から、学校でも『ウルトラQ』は噂になっていました。「怪獣が次から次に出てくるんだぞ!それを毎週テレビでやるんだぞ!」と興奮気味に話す級友もおりました。
 私もワクワクしながら初回放映を待っていたのですが、どうもうちのテレビの映りが悪い。父親に訴えると、「よし」といって屋根に上がり、寒風のなかアンテナの向きを調整してくれました。
 ところがそれがあだとなって、受信状況はさらに悪化。
 砂嵐の画面を茫然と見ながら、雑音の合間に聞き取れる音声だけで、記念すべき第1回を視聴することに・・・という悲しい思い出があります。
 再放送でくっきり映像を見た時は、感激で胸が震えました。
posted by Pendako at 12:43| Comment(0) | 120字のブラウン管 | 更新情報をチェックする

120字の映画館No.13~新東宝映画その2 「エノケンの天国と地獄」

 監督:佐藤武
 出演:榎本健一、若山セツ子
 製作:新東宝 1954年

サーカス一座の人気者に不運が巡り、止むなく犯した強盗殺人。悲観し妻子を残して死を選んだ男に、いっときだけ地上に戻ることが許された。子と遊び妻と語らうかけがえのない時間が今一度!だがやがて、再び別離が近づいて・・・家族を思う男の喜びと悲哀、万人の胸を打つ佳篇。

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 エノケンは「日本の喜劇王」とも称されたコメディアン、榎本健一(1904年~1970年)の愛称ですが、現在この名を聞いてピンとくる方はどれほどいるでしょうか。
 私の物心ついたころ(昭和30年代)はまだご存命中でしたが、その当時でも「過去の人」という印象しかなかったような気がします。
 たまに話題にのぼっても、昔の輝かしい芸歴と引き比べ、いまの凋落ぶりを窺わせるようなものばかりでした。だからでしょうか、たまにテレビ番組で見かけても、痛々しいばかりで素直に笑えませんでした。
 喜劇を生業にする人の実生活は悲劇―を地で行くような人生だったのかも知れません。

 共演の若山セツ子(1929年~1985年)さんは、1946年の東宝ニューフェース(第1期)に合格して女優になった方で、同期に三船敏郎、久我美子、堺左千夫などがいます。
 三船敏郎のデビュー作「銀嶺の果て」(東宝 谷口千吉監督 1947年)や、話題作「青い山脈」(東宝 今井正監督 1949年)などで、東宝伝統の清純派スターの系譜に連なる女優として人気が出て、相当数の作品に出演されていますが、健康に恵まれず十年ほどで映画界を引退。
 晩年も度重なる不幸に見舞われ、痛ましいような形でご生涯を閉じたようです。

 私が初めてゴジラ映画を観たのは、テレビで放映した「ゴジラの逆襲」(東宝 小田基義監督 1955年)でした。
 この中で漁業会社の社長令嬢にして、魚群探査機と交信する無線係(縁故入社?)の役を楚々と演じていました。探査機のパイロット(小泉博)が恋人―という設定で、職務を生真面目に遂行しながら、ときおり恋人への甘えが混じってしまうという、可憐な役柄だったと思います。

 このおふたりの晩年に重ね合わせたわけではありませんが、今回ご紹介する「エノケンの天国と地獄」も、ある種の無常観を覚えながら観た映画です。
 コメディ的な要素はあったかも知れませんが、ドラマの前半部分も含め、細かいところはあまり覚えていません。何歳のときだったか、テレビで一度観たきりなので。

 自殺して死んだ男(榎本健一)が天国の裁判所で、生前の悪行を理由に、地獄での懲役刑を言い渡されます。
 しかし情状も酌量され、その懲役を無事果たしたときに、ほんの数時間だけ下界に戻ることが許されるのです。
 地上に降りた男は、生前に苦労をかけた妻(若山セツ子)と成長した息子に出会い、至福のときを過ごすのですが・・・
 やがて天国から使いがやって来て、妻と息子が見守るなか、男は天国に戻っていく・・・というのがあらすじです。
 ただ彼の正体は、妻にも子供にも決して気づかれないという設定になっていて、観ていてそこがとてももどかしく、実に哀切なラストになったと記憶します。

 このあらすじには元ネタがあります。
 ハンガリーの劇作家、モルナール・フェレンツの「リリオム 或るならず者の生と死」という戯曲だそうです。
 死んだ男が天の配剤でいっときだけ生き返り生前の悪行の償いをする、というこの筋立ては、多くの創作者を刺激したようで―
 森鴎外や川端康成に「リリオム」の翻案があったり、ブロードウェイ・ミュージカル「回転木馬」の原案になったり・・・「トムとジェリー」にも似たようなエピソードがありましたね。


posted by Pendako at 01:32| Comment(0) | 120字の映画館 | 更新情報をチェックする
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