2018年07月30日

ふるさと散策 : 飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その4

(承前)

 その道をちょっと行くと、飯田線の踏切に出ます。
 私が5歳ぐらいまでは、飯田線の向こう側(山側)はあまり縁のない地域でした。

 ところが保育園の年長になる頃に、家は山側の丸山という地区に引っ越し、保育園も転園となりました。

 市街地の北西に、飯田のシンボル的な山、風越山(かざこしやま、または、ふうえつさん、とも 標高1,535m)が聳えているのですが、その前衛にある虚空蔵山(こくぞうさん 1,130m)の山裾が市街地にむかって張り出したあたりが丸山です。

 続いて、Kのおばさんも丸山に移ってきました。

 したがってこの頃から私は、丸山区内で自宅、保育園(のちに小学校も)、おばさんの家を行ったり来たりする生活になったわけです。

 飯田線の踏切を越えると、その時代の思い出が・・・

 記憶のなかで当時の地理地形はしっかりと残っていたのですが、1970年代に中央高速道路が開通したからでしょう、あたりの様子は一変していました。

 保育園と小学校は、さすがにすぐに判りました。

 懐かしの学び舎ではありましたが、正直なところがっかりした気持ちのほうが強かったですね。
 小学校の校舎が外観上、団地のような作りになっていたからです。いえ、学校の校舎としては、ごく普通に見られる造作なのですが・・・

飯田市立丸山小学校.jpg


 この小学校で、私が一年か二年のときに、創立90周年の記念行事がありましたから、明治6年(1873年)ごろの設立です。
 ちなみに記念行事では、ベルマークを集めて購入した、エレクトーンのお披露目演奏会があったのを覚えています。

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2018年07月29日

ふるさと散策 : 飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その3

(承前)

 駅前通りを300mほど歩いた、右側にある小さな神社。
 この場所はよく覚えています。(烏山稲荷神社・・・という名前は、今回ようやく知りました)

 Kのおばさんに預けられると、必ずここで遊んでいたのです。

烏山稲荷神社01.jpg

※烏山稲荷を正面から撮ったところ。ここには写っていませんが、左側がミニマム仕様の児童公園になっています。



烏山稲荷神社02.jpg

※上の写真の左の側面から撮影。昭和テイスト薫る、この公園のいじらしさよ。


 当時もなにかしら遊具がおいてあった気もしますが、覚えているのは砂場で、近所に住む同年の仲良しと相撲を取ったりしたこと。

 その日は私ひとりでした。
 ちょうどお昼どきだったのか、ベンチで事務員風の制服を着た若い女性がふたり、お弁当を食べています。

 いつもは公園でひとしきり遊ぶと、100mほど離れた飯田病院に遠征して、敷地内の探検をするのですが、この日は―

烏山稲荷から琴平神社.jpg

※烏山稲荷の公園からみた琴平神社。左上の木立のあたりに社があります。問題の地点は、「ま」の字が書かれたあたりか。

 駅前からの通りは、この公園をかどにおく形で十字路になっているのですが、これを右に折れた道の反対側の一角にも、これまた小さな神社(琴平神社)があります。

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2018年07月28日

ふるさと散策 : 飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その2

(承前)
 私が飯田で暮らした頃の、内輪話から入って恐縮ですが・・・(それを前提にしないと以降の話が進めにくいので悪しからず)

 簡単に申せば、私の父親は仕事の都合で家に帰るのが月に一度ぐらい、母親も職業を持ち、日勤と夜勤が交互にくるような勤務だった―という事情がありまして。

 父親不在はともかく母親もいないあいだは、誰が子どもの面倒を見るのか・・・という切実な事情。保育園に預けたり、母の実家を頼ったり、だけではとても間に合いません。
 そこで母親が知り合いから紹介されたのが、Kさんという年配の女性。

 その方を子守役に雇い、母が夜勤のときは、私は(のちに三歳下の妹も)そのおばさんの家で世話になっていたのです。

 母と一緒に自宅で過ごす日もあれば、そのおばさんと寝食ともにする日もある・・・という二重生活が六、七年も続きました。

 情は移ります。
 私たちは「Kのおばさん」と呼んで、それこそ親同然に慕っていました。

 おばさんは、他の家族が東京に出て働いていたので、末っ子の息子とふたり暮らし。
 その彼が小学生高学年から高校時代にかけて、私たちを可愛がり、叱りつける兄貴分となりました。

 飯田駅近くの元町に、おばさんの家はありました。
 家と云っても、大きな倉庫のような建物内の一部、いつも薄暗いひと部屋きりの間借りです。

 今回の散策で、まず訪ねてみようと考えたのは、そのあたりです。
 飯田駅から駅前通りを200mほど歩いてみました。

飯田市元町01.jpg

※元町の、たぶんこのあたりにKのおばさんの住いがあったはずですが・・・

 街並みの様子がすっかり変わり、特定できません。

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2018年07月27日

ふるさと散策 : 飯田の町で半世紀以上むかしに起こった出来事など~その1

 先日ある用事があって、生まれ故郷を訪ねてきました。

 長野県の飯田市というところ。
 以前の記事で少しご紹介したJR飯田線の、上りの起点・辰野駅から全区間約200㎞の三分の一ほど南下(下りの起点・豊橋駅からは三分の二ほど北上)したあたりにある地方都市です。

 母の生家があり、両親が結婚して新居を構えた町であり、私が8歳になるまで育った場所でもあります。はるか昔の話・・・

 いまも親類や縁故者が多く住んでおりますので、近年はなにかことがあると、父母になり代わって私が顔を出す機会が増えました。

 いつもはきつめの旅程で往復するのですが、このたびは余裕をもってちょっと早めに到着。
 飯田駅近くの宿に荷物を預けると、時間をかけて付近を散策してみました。

 ここで暮らした頃にゆかりのある場所を巡って、半世紀あまりの隔たりの末、当時の面影がいかほど残っているものなのか、ちょっと確かめたくなったのです。

 若い頃は郷愁とか懐旧というものに、なにか気恥ずかしいものがありましたが、私も老境に差しかかったということなのでしょう。
 まあ、年寄りの繰り言をここに記すつもりはありませんが・・・

 飯田市―
 長野県の南部、天竜川を真ん中に挟み、西は中央アルプス(木曽山脈)の摺古木山(標高2,169m)から、東は南アルプス(赤石山脈)の聖岳(3,013m)までの、横長で広範な地域です。
 人口は10万人ほど。

 ですがこれは、ここ半世紀のあいだに近隣の町村と合併して広がった結果で、もともとは天竜川を東に見下ろす、河岸段丘上の一角に拓かれた城下町(または三州街道の宿場町)が飯田と称されてきました。

 城下町ですから、かつては城郭がありました。
 飯田城、別名を長姫城(おさひめじょう)といいます。

 室町期の築城以来、城主や主君をめまぐるしく変えながら、江戸期には幕末まで飯田藩の庁として存しましたが、明治維新で取り壊され、現在はわずかな遺構を残すだけのようです。
 いまもその近辺の馬場町、追手町、主税町、伝馬町といった町名に、城下町や宿場町の名残があります。
 私が生まれたのはそのあたりです。

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posted by Pendako at 12:17| Comment(0) | 郷土・ふるさと | 更新情報をチェックする

2018年07月05日

『江戸川乱歩全集』第5巻より「何者」:乱歩と挿絵画家~その14

講談社版『江戸川乱歩全集』第5巻「吸血鬼」(1969年8月初版)
 収録作品は次のとおり。(頭に★印のついた作品が古沢岩美の挿絵付きです)

★「何者」、★★「黄金仮面」、★★「吸血鬼」
「江戸川乱歩について」(荒正人)、「作品解題」(中島河太郎)

 前回の「乱歩と挿絵画家~その13」で記したように、昭和4年(1929年)初頭からの約3年半は、江戸川乱歩にとって、執筆量、作品量では空前絶後の充実ぶりでした。

 この「孤島の鬼」の連載が始まった1929年1月から、「恐怖王」の連載が終了した1932年5月までの41ヶ月間に絞って、少し記してみます。

 なお、本稿に限らず江戸川乱歩の書誌的なデータは、次の書籍をかなりの度合いで参考にさせていただいております。

江戸川乱歩執筆年譜.jpg

※「江戸川乱歩リファレンスブック2 江戸川乱歩執筆年譜」(監修:平井隆太郎・中島河太郎 編集:中相作 発行:名張市立図書館 平成3年3月発行)


江戸川乱歩著書目録.jpg

※「江戸川乱歩リファレンスブック3 江戸川乱歩著書目録」(監修:平井隆太郎 編集:中相作 発行:名張市立図書館 平成15年3月発行)


 まずは執筆活動(カッコ内は原稿枚数)。

  長篇小説:「孤島の鬼」(470)、「蜘蛛男」(550)、「猟奇の果」(370)、「魔術師」(500)、「黄金仮面」(428)、「吸血鬼」(480)、「盲獣」(250)、「白髪鬼」(318)、「恐怖王」(211)の9篇。

  中篇小説:「蟲」(120)、「何者」(100)、「鬼」(93)、「地獄風景」(100)の4篇。

  短篇小説:「悪夢(芋虫)」(35)、「押絵と旅する男」(40)、「目羅博士の不思議な犯罪」(44)の3篇。この時期初めて日の目を見た、作家デビュー前の習作「火縄銃」(30)を含めれば4篇。

  連作小説:「江川蘭子」(30)※6人の作家によるリレー小説の第1回。

 そのほか随筆・序文・解説などが70篇あまり。(このなかには、連載小説休載の「お詫びの言葉」や、ごく短い寸評なども含まれます)


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posted by Pendako at 11:05| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする
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