2018年02月28日

「サイコ」(続き):映画と原作~ヒッチコック その12

(承前)

⑱1958年「サイコ Psycho」
  原作:Robert Bloch "Psycho"(1959)
  邦訳:ロバート・ブロック「気ちがい(サイコ)」(ポケミス 1960年 福島正実・訳)※ハヤカワ文庫、創元推理文庫にも邦訳あり

ヒッチコック サイコ.jpg


 まずは(今度こそ本当に)「あのシーン」から―

 モーテルの一室の、こぎれいだが殺風景な浴室。
 シャワー口から勢いよく湯が飛びだす。
 心地良さげに頭から湯を浴びる若い女。
 からだの泡とともに、おのが犯した罪を洗い流すかのよう・・・

 そこに不穏な音楽がかぶさって、半透明のシャワーカーテンの向こうに現れた謎の人物。
 いきなりカーテンが開けられ、謎の人物は手にしたナイフを振りかざし、女のからだに何度も何度も突き立てる。

 やがて絶命し浴槽の底に突っ伏した女の上から、シャワーが不断に降り注ぐ。
 排水孔に吸い込まれるのは湯気立つ湯と、真っ赤な鮮血―(ただしモノクロ映画)

 きわめてショッキングなシーンです。
 初めて「サイコ」を観る人は、このシーンに二重の意味で度肝を抜かれると思います。

 まずひとつはその演出法。

「映画術」のなかでヒッチコックは、「たった四十五秒間のシーン」のために「撮影には七日間かかった。キャメラの位置も七十回変えた」と語り、トリュフォーは「かつてない激烈で残忍なシーンで、暴行のきわみという感じ」と評しています。

 そして、前回の記事の繰り返しになりますが、このショッキングな演出をさらに増幅するのが―

 ヒロインのマリオンを演ずるのは、観客には顔なじみの女優、安定した人気と演技力のジャネット・リー。

 途中で絡むモーテルの経営者ノーマン・ベイツ役は、これまた何本もの映画で好青年を演じてきたアンソニー・パーキンス。

 このキャスティングゆえに・・・

 映画の前段で描かれるのは、大金を横領した女、マリオンの逃避行―
 辿りついたモーテルでシャイな青年、ノーマンと出会い、これを機に彼女に改心の兆しが芽生えはじめて―

 この、ヒロインに感情移入しやすい物語ゆえに・・・

 観客は、ヒロインの行状をハラハラしながら見守りながら、ある種予定調和的な展開を期待するようになります。

 その観客の期待を、文字通り断ち切るのが、「あのシーン」。

 物語は、このシャワー・シーンを機に、がらりと展開を変えます。観客は、突然足下を掬われて、右往左往することになるのです。

 ノーマン・ベイツの、奇妙な親子関係を背景とした不可解な行状に、観客は怯えながら付き合わされるはめに・・・

 そしてラストで明かされる真相に、心底震え上がるのです。

「映画術」のなかでヒッチコックが語ります。

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posted by Pendako at 14:51| Comment(0) | 映画と文学 | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

「サイコ」:映画と原作~ヒッチコック その11

 下に書影をかかげた2冊―

 左はたった一本の映画について丸々1冊をあてた研究本、スティーブン・レベロ「メイキング・オブ・サイコ」(岡山徹・訳 白夜書房 1990年10月初版)

 右はたった1本の映画の、たったひとつのシークエンスをめぐる内幕本、ジャネット・リー/クリストファー・ニッケンス「リュミエール叢書 サイコ・シャワー」(藤原敏史・訳 筑摩書房 1996年6月初版)

サイコ関連本2冊.jpg


 これらについて詳述はさけますが、いずれにおいてもフォーカスしているのは「あのシーン」。

「サイコ」の初公開(1960年)当時、全国の映画館主や宣伝担当者は、ヒッチコックの指示により上映中の途中入場やストーリーの口外を固く禁じられたそうです。

「観客をいかに驚かせてやろうか」に腐心するヒッチコックの思惑を、最大限に活かすための方策でした。(結果として、大きな宣伝効果も上げました)

 まずヒロインに、芸歴10年を超え円熟味を増したハリウッド女優、ジャネット・リーを起用したことが、ある種のミス・ディレクションを観客に仕掛けています。

 また、会社のお金を横領した女の逃避行とその改心の兆し―そのプロセスを丹念に、緻密に演出することにより、観客はヒロインに感情移入し、予定調和的な展開を期待します。
 だからこそ、物語の中盤に出てくる戦慄すべき「あのシーン」で、観客の度肝を抜くことに成功したのです。

 観客には何の予備知識もなしに、最初から物語を追ってもらうことが、この映画の成否を分ける要でした。(まあ、だいたい謎の絡む映画はどれもそうなんですが、この映画は特に・・・ということです)

 ですが、「サイコ」について何か語ろうとするとき、不気味な真相が明かされる衝撃のラストは明かさないまでも、物語の中盤に来る「あのシーン」に触れないわけにはいきません。

 初上映から半世紀以上経過し、人口に膾炙した作品です。

 サイコホラー映画の原点としても評価の定まっている現在、よもやスリラー映画好き、ホラー映画マニアを自認する方が、この映画の趣向やおおまかなストーリーすら知らない、という方はいないかと思いますが・・・

 健全なファミリー向け映画や甘いラブ・ロマンスの愛好家の方が、このブログを読むことも想定しなければなりません。そのような方にも、何かのきっかけで「サイコ」を初めて観る機会が訪れるかも知れません。

 ですから「あのシーン」に出くわしたとき、その驚愕を100%享受するという権利を、こんな私の駄文で奪ってしまうようなことにでもなれば申し訳ないことです。

 したがいまして予備知識のない方は、この先に進むか引き返すか、老婆心ながらご一考のほどお願いしたいと思います。(などと注意喚起を促したところで、インターネットでぽちっと検索すれば、ネタバレ情報はいやでも目に飛び込んできてしまうのですが・・・)

 とお断りしたところで、次のシーンから―

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posted by Pendako at 10:59| Comment(0) | 映画と文学 | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

蛇足:映画と原作~ヒッチコック その10

「ヒッチコック/トリュフォー 映画術」の中から、人間消失テーマについて少しばかり。

Alfred-Hitchcock-Presents01.jpg


 以前の記事(映画と原作~ヒッチコック その2:「バルカン超特急」から「断崖」まで)で触れたかったのですが、ちょっと膨らみすぎるからとカットした内容をここに記します。

 英国時代の傑作「バルカン超特急」(1938年)は、人間消失をひとつの趣向として取り上げています。

「映画術」のなかで、ヒッチコックはこの映画も含め、人間が突然消失するという発端をもつドラマはすべて、1880年代にパリで起こった実話がもとになっている、というようなことを言っています。

 母と娘の親子連れがパリを訪れ、あるホテルに投宿します。
 旅の疲れか、母親の具合が急に悪くなったので医者に診てもらうのですが、医者は診察後、その治療に必要な薬の調達を娘に頼みます。
 指示どおり娘は馬車に乗って、遠くの薬局まで医者の指定した薬品を買いに出かけるのです。

 薬を入手した娘は数時間後、ホテルに戻ります。
「母の容態はどうですか」
 娘はホテルの主人に尋ねると、主人は怪訝な顔をして「いったいなんの話です?」
 娘がさらに問い詰めると「あなたはいったいどなたですか?」
 母の寝ているはずの部屋に案内してもらうと、そこには見知らぬ客が泊まっていて…母の姿はどこにもない。

 この謎めいた話の真相は―?

 ヒッチコックはあっさりとネタをばらしていますが、ここでは、この事件が起こったのが1899年、パリでは万国博覧会が開催されており街は大勢の人で活気に満ちていた…という背景だけ記しておきましょう。

 実はこのストーリーの骨子は、ヒッチコックが得々として披瀝するまでもなく、海外ミステリを読みなれた方なら、過去に1度や2度は出合ったことのある有名な話なのです。

 例えば、ベイジル・トムスン「フレイザー夫人の消失」(新潮文庫「北村薫のミステリー館」2005年9月初版 収録)や、コオリン・マーキーの「空室」(『新青年』1934年4月号掲載)など。(ただし後者については、現物にあたったわけではありません)

 つまり「パリの貴婦人失踪」という元ネタ(実話ではなく、一種の都市伝説とも言われています)を、何人もの作家が多少のアレンジを加え、別個に作品に仕上げているのです。

 私も中学の頃、学年誌の付録文庫で同じ話を読んだ記憶があるのですが、翻訳ミステリの驚異的なデータベース「ミスダス MISDAS」を覗いても、該当しそうなものが見当たりませんでした。

 このとき、アイリッシュの「消えた花嫁」との類似性を強烈に意識した記憶があるので、読んだことは間違いないと思うのですが・・・(「消えた花嫁」、さらに言えば同じ作者の長篇「幻の女」も、「パリの貴婦人失踪」のバリエーションと言えるかもしれません)
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posted by Pendako at 12:26| Comment(0) | 映画と文学 | 更新情報をチェックする
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