2018年01月29日

叔母の語ってくれた「怖い話」

(承前)

 葉山嘉樹が泰阜村の明島で暮らしたのは、40歳の頃。

 昭和9年(1934年)1月から同年7月まで、たった半年ほどの居住でしたが、この地で鉄道敷設の労働に従事した実体験を生かした作品が、いくつかあるようです。


 角川文庫「セメント樽の中の手紙」所収の作品でいえば、「濁流」と「氷雨」の2篇がそれにあたります。


「濁流」では集中豪雨で天竜川が荒れ狂うさまと、なすすべもなく翻弄される鉄道工事の人夫たちの姿が、荒々しい筆致で描かれています。

 最後はプロレタリア文学らしく(あるいは、らしからず)、救いのある情景で結ばれます。


「氷雨」は貧窮する主人公の、絶望的に暗い心象を描きます。川釣りの帰途にある父子三人の、もうまるで冥界の道行きのような物語。(もはやプロレタリア文学というより、怪談文学)


 冒頭に置かれた表題作「セメント樽の中の手紙」についても触れておきます。


 この作品が書かれたのが大正14年(1925年)、作者が南信州に移り住むよりだいぶ以前のことです。(この頃労働争議に関わったとして、刑務所に出たり入ったりを繰り返しています。)


 執筆の5年前に、葉山嘉樹は名古屋のセメント会社に雇用されたものの、ある職工の死亡事故をきっかけに、労働組合の結成を企てたことから馘首されています。

 そのときの経験や憤りが、この作品に色濃く反映しているのでしょう。


 この作品、やはり以前どこかで読んだことがありました。(帯の惹句に「教科書で読んだ伝説の衝撃作!」とありますが、むろん教科書で読んだものではありません。)


 たぶん「探偵小説」といった括りのなかで読んだのだと思います。


 探偵小説としては、手紙を効果的に使用した例に夢野久作「瓶詰の地獄」という超絶的な問題作を知っていたため、「セメント樽の中の手紙」の印象はすこぶる薄かったと思われます。


 しかし今回この作品を、作者の本懐どおりプロレタリア文学として読みなおしてみると、手紙に込めた女性の悲痛な思いが胸に迫り、一種の感動すら覚えました。

 文庫本で6ページの掌編ながら、底辺で虐げられている者の、凄まじい怨嗟を秘めた作品です。


 ―と、すべての作品に言及したいという思いにも駆られるのですが、私にとって、作品の良し悪し以上に衝撃を受けた作品があったので、最後にそれを取り上げます。


 その短篇ではまず、


 湖畔に佇む中学(旧制)の寄宿舎、という舞台。

 寄宿舎の相部屋に住まう学生、というふたりの登場人物。

 毎年溺死者がでる湖、という設定。

 その亡骸が埋葬される近くの墓地、という不吉な暗示。


 そんな状況が説明されます。


 不思議なことに、すでにここらで私は、妙な既視感を覚えました。


 読み進めると作中で、溺死者がまた出ます。

 そんなある夜、寄宿舎の相部屋の、ふたりのうちのひとりが眠りにつきかけたとき、同室者が部屋を抜け出そうとしていることに気づきます。

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posted by Pendako at 15:24| Comment(0) | 郷土・ふるさと | 更新情報をチェックする

2018年01月28日

あるプロレタリア文学者との不思議な縁

 葉山嘉樹という小説家をご存知でしょうか?


 明治27年(1894年)福岡県の豊津村(現・京都郡みやこ町)に生れ、早稲田大学高等予科除籍後、各地を転々としながら数々の小説を発表し、晩年は満州開拓団に参加、昭和20年(1945年)満州国から引き揚げ途中に病没したプロレタリア文学の作家です。


 日本文学史を学んでいると、必ず出てくるプロレタリア文学。

 私にとっては、自然主義文学、私小説と並んで、ちょっと敬遠したいカテゴリ。


 デジタル大辞泉の解説をお借りすると、


プロレタリアートの階級的自覚と要求に基づき、その思想と感情を描き出した文学。日本では、大正10年(1921)の「種蒔(ま)く人」の創刊を出発とし、のち「文芸戦線」「戦旗」などにより、昭和9年(1934)弾圧で壊滅するまで続いた。


 というのがプロレタリア文学のあらましです。


 代表的な作家・作品を挙げるとすれば小林多喜二「蟹工船」、徳永直「太陽のない街」などと並んで、葉山嘉樹「海に生くる人々」の名が思い浮かぶと思います。


 私の場合―


 その昔(高校時代)、近くの大学の学祭に潜り込み、自主上映の映画「蟹工船」(1953年製作 山村聰・監督)を観たのが、プロレタリア文学というものの片鱗を知るきっかけとなるはずでした。


 映画自体はちっとも面白くなかったのですが、原作者の作品を読んでみようという気になったらしく、角川文庫の小林多喜二「蟹工船・党生活者」(1968年改訂版)を贖ったものの―


 小説のほうも、私の琴線に触れるところがなくて、結局のところプロレタリア文学に傾倒するまでには至りませんでした。


 ですから、小林多喜二の他の作品にも、徳永直にも葉山嘉樹にも食指が伸びることなく、もっぱら逃避的虚構の世界のほうで安穏と過ごしてきたのです。


 話はこれでおしまい…とはならず。


 時代は下って2008年8月のこと。

 やはり角川文庫から「ワーキングプアの文学」と銘打った、新装版「蟹工船・党生活者」が刊行されました。


 これは以前読んだからと軽くスル―したのですが、続いて出たのが葉山嘉樹の短編集、「セメント樽の中の手紙」(角川文庫 2008年9月)でした。


「ワーキングプア文学の原点」という位置づけだったと思います。(プロレタリア文学史的には、葉山嘉樹の諸作が、小林多喜二に多大な影響を与えたことになっているらしい)


「セメント樽の中の手紙」という表題に覚えがあり、何かのアンソロジーで読んだことがあるような気もして、角川文庫のその一冊を購入しました。


セメント樽の中の手紙.jpg


 ただ購入したままいつもの伝で、作品や作者への興味が熟成されるのを待つうち(それを「積ん読」ともいいます)、葉山嘉樹の名も、「セメント樽の中の手紙」の存在も忘れてしまいました。


 それが最近になって―

 まったく別の用途で入手していた、ある書籍をぱらぱらと読み返すうち、初読のときには気づかなかったひとつの文章が目に止まったのです。


 その書籍というのが、以前のブログ記事で少しだけ触れた、「飯田線百年ものがたり」(東海旅客鉄道株式会社飯田支店・監修 新葉社 2006年1月刊)という大判の本です。


 中部地方有数のローカル鉄道である飯田線の、前史も含めた100年に亘る歴史を、飯田線にゆかりある人々の筆による様々な記録や証言でカバーし、写真や図版なども豊富に詰め込んだ貴重な一冊です。


飯田線百年ものがたり.jpg


 このなかに葉山嘉樹の名のあることに気づいたのです。
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posted by Pendako at 23:21| Comment(0) | 郷土・ふるさと | 更新情報をチェックする
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