2020年07月04日

120字の映画館No.24  三船敏郎 その2~「銀嶺の果て」

 監督:谷口千吉
 製作:東宝 1947年
 出演:志村喬、小杉義男、三船敏郎、若山セツ子、河野秋武、高堂國典
銀行を襲った男たちは大金をせしめ、厳冬の雪山に身を隠す。彷徨の末に見つけたのは、雪原に立ち昇る一条の煙!山小屋の住人に暖かく迎えられるも、凶悪の本性は次第に露見する・・・荒れ狂う吹雪、凍てつく寒さ、山頂の夜明けの静謐―荘厳な山のいとなみに、人の尊厳の甦るさまが重なる、山岳ドラマの傑作!!

「銀嶺の果て」(1947年)ポスター.jpg


 この映画で特筆すべきは、のちの日本映画界に多大な貢献を果たす、3人の人物がデビューした、ということでしょう。

 まず監督の谷口千吉。
 1912年東京に生れ、早稲田大学卒業後、1933年PCL(Photo Chemical Laboratory 東宝の前身)に入社。
 助監督時代を経て、初めて手がけた監督作品が、この「銀嶺の果て」です。
 その後「ジャコ萬と鉄」(1949年)、「暁の脱走」(1950年)、「男対男」(1960年)、「大盗賊」(1963年)、「奇巌城の冒険」(1966年)など、東宝のアクション系娯楽作品の傑作をものにしてきました。
 結婚歴は3回あります。最初の妻は、脚本家として数々の名作映画に名を刻む水木洋子。二番目は「銀嶺の果て」にも出演した女優・若山セツ子。最後の、そして生涯の伴侶となったのが、彼の「乱菊物語」(東宝 1958年)に出演した女優・八千草薫。
 ゴシップ的な話題にも事欠かなかったようです。
 ところが創作活動には恬淡としたところがあったのか、1970年代になるとほとんど映画を撮ることはなくなり、半ば忘れられた存在となって、2007年歿、95歳でした。
 昨年(2019年)、八千草薫さんが亡くなったとき、谷口千吉とのおしどり夫婦ぶりが取り上げられ、久しぶりにその名を耳にすることになりました。

 次に音楽の伊福部昭。
 1914年北海道釧路町(現・釧路市)生れ。北海道帝国大学在学中から器楽の作曲を始め、以降、管弦楽、吹奏楽、室内楽、器楽、声楽などで、膨大な作品を残しました。2006年歿、91歳。
 私ぐらいの世代でもっとも馴染み深いのは、映画音楽での旺盛な活躍ぶりでしょう。
 最も有名なのは、「ゴジラ」シリーズになりますかね(♪ドシラ ドシラ ドシラソラシドシラ)。しかし「大魔神」三部作にも携わっています。東宝と大映―双方の特撮映画の、大看板に名を連ねるというのも、凄いことです。
 その彼が、初めて手がけた映画音楽が、やはりこの「銀嶺の果て」なのです。

 そして三船敏郎。デビュー作にして、すでに主役級。
 1920年、中国・青島生れ(両親は日本人)。父は写真館を営み、彼もまた兵役中に写真工手の経験があって、終戦後復員すると、東宝の撮影助手に応募します。ところがなにかの手違いで、俳優の第1期ニューフェイス候補として、採用試験を受けることに―
 面接時の態度がふてぶてしく不合格となるも、当時の看板女優・高峰秀子や新進監督・黒澤明の強引な推挙が功を奏し、一転して合格した―という逸話があります。(三船敏郎のいない「七人の侍」や「用心棒」は想像もつかないので、このとき不合格のままだったら・・・と考えると空恐ろしくなります)
 本人としては役者になるのはまったく不本意で、「銀嶺の果て」にも嫌々ながら出演。
 しかしその後の活躍は・・・

 三船敏郎出演の映画については、これからも幾つか取り上げてみたいと思いますので、そのときに。

 さて、「銀嶺の果て」です。
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2020年06月24日

『江戸川乱歩全集』第5巻より「吸血鬼」(続き):乱歩と挿絵画家~その17

(承前)

 例によって前置きが長くなりましたが、講談社版『江戸川乱歩全集』に添えられた挿絵を見てみましょう。
江戸川乱歩全集第5巻04 吸血鬼.jpg

※「吸血鬼」より(挿絵:古沢岩美)

 本篇の冒頭で、ヒロイン・畑柳倭文子を巡る恋の鞘当てが嵩じて、決闘にまで及んだふたりの男―洋画家の岡田と美青年の三谷。
「唇のない男」の正体は、その決闘に破れ、行方を晦ませた岡田ではないかとの疑いが深まり、明智探偵と三谷青年が家主立ち合いのもと、岡田のアトリエに踏み込みます。
 彼らが見つけたのは、石膏製の裸婦の群像。
「子供のいたずらみたいな、不細工な塊」にすぎない8体の裸婦像ですが、そのなかに3体だけ出来の良いものが混じっている。
 その表面を槌で叩くと、石膏はボロボロと剥げ落ち、中から現れたのは若い女性の腐乱死体3つ―という場面です。

 中学時代に、本篇を初めて読んだときのこと。
 石膏で死体を塗り固めて塑像に擬するという悪趣味なトリックに、鳥肌立つ思いがしたものですが・・・
 ところが同時に、「あれ、同じような場面を、前にも読んだぞ」とも思ったのです。(「蜘蛛男」がそれ。ただしこちらでは、石膏から出てきたのは片腕だけ)

 しばらくして、全集第10巻で「地獄の道化師」を読み始めると、開巻早々、またしても出てきました、石膏像のなかから全裸死体が。
 このときは怖気振るうより先に、「またか」と思ってげんなりした覚えがあります。(確認していませんが、ほかの作品にもあったかも知れません)

 江戸川乱歩という人は、自分が気に入った趣向があると、繰り返し繰り返し作品に取り入れる癖があるのだなあ―と、(若干否定的に)意識したのです。
 ついでに言えば、「八幡の藪知らず」とか「一寸だめし五分だめし」といった、乱歩お気に入りの慣用表現も、多くの作品で出くわします。

 挿絵に罪はないのですが、この挿絵を見ると、そんなことに連想が及びます。
江戸川乱歩全集第5巻05 吸血鬼.jpg

※「吸血鬼」より(挿絵:古沢岩美)

 物語が終盤に差しかかるころ―

 畑柳家で使用人の老人が殺害され、現場の情況から、女主人の倭文子に嫌疑がかけられます。錯乱状態にあった彼女も、てっきり自分がやったものと思い込み、捕まれば死刑―と、実に短絡的な覚悟を決めるのです。そこに、いまや彼女の恋人となった三谷青年が、窮余の一策を講じます。

 警察陣が捜査網を敷くなか、老人の葬儀がとり行われます。
 三谷の手筈で、あろうことかその遺体とすり替わり、倭文子は幼い息子の茂ともども、棺桶のなかに身を潜めます。
 荼毘に付すため、棺桶を乗せた霊柩車は火葬場に―
 計画では、途中で棺桶は三谷に引き渡され、母子は官憲の手の及ばぬところに逃げおおせる、という段取りでした。

 ところがどうも、その段取りに狂いが生じたらしい―
 倭文子は異変に気づくも、ときすでに遅し、母子を閉じ込めた棺桶はそのまま、火葬場の炉のなかへ。
 闇黒と静寂の密閉空間から逃れ出るすべはなく、灼熱地獄はすぐそこに迫る。不安と焦燥と恐怖に、倭文子は身を捩って嗚咽する。
 そのとき、幼な子の茂が母親に意外なおねだりを・・・

 焚き口に石炭が投ぜられる音、そして炎の点火する音が聞こえて来ます。
 やがて地獄の業火がふたりの身を焦がし始めたとき、倭文子の頭に閃いたものは・・・?

 挿絵は、以上の如く生きながら火葬に付された母子と、底知れぬ悪意を以てその惨劇を演出した「唇のない男」の姿を、二重写しに描いています。

 見てのとおりなのですが、仔細に眺めると、どうにも物理的にありえないと思われる箇所があります。
 一目瞭然なので、敢えてその箇所を指摘することはしませんが―

 古沢岩美画伯のデッサンが狂ったのでしょうか?
 あるいは、なにか含意があり、意図的にそうした構図を採ったのでしょうか?
 ちょっとした謎ですね。

 最後に―
 上ではぼかしましたが、棺桶のなかで幼な子が、母親におねだりしたのはオッパイです。
 空腹と喉の渇きと恐怖とがない交ぜになって、すでに乳離れして久しい子が、母親に乳をねだる―荒唐無稽な探偵活劇にあって、ここだけは妙に生々しいリアリティを醸す場面です。

 こういうところにも、江戸川乱歩の凄さが窺えると思うのですが、いかがでしょう?
posted by Pendako at 21:37| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする

2020年06月23日

『江戸川乱歩全集』第5巻より「吸血鬼」:乱歩と挿絵画家~その16

「吸血鬼」

 昭和5年(1930年)9月~翌年3月、『報知新聞夕刊』に連載された長篇。

 この作品に関しては「魔術師」とともに、「乱歩と挿絵画家~番外篇」のほうでくどくどと言及しました。おもに明智小五郎の探偵助手―文代さんと小林少年のふたりを巡る、学術的(呵々)考察です。
 まずは「番外篇」で記した作品の概略だけ次に引き写し、ここでは別の観点から眺めてみます。

 美貌の未亡人・畑柳倭文子(しづこ)とその幼な子をめぐる、陰惨で奇怪な事件の数々。陰で暗躍する唇のない骸骨男―別名・吸血鬼に立ち向かう、明智探偵の活躍を描く怪奇冒険譚。

 本篇中盤の山場をなす、国技館での追跡劇について、少しだけ詳しく。

 なお、作品名としての「吸血鬼」と、作中の、吸血鬼になぞらえられる怪人とがごっちゃにならぬよう、前者を「本篇」、後者を「唇のない男」と表記します。(この怪人を、「唇のない男」と記す頻度が、もっとも高いので)
 
 明智探偵が事件解明に乗り出すと、「唇のない男」はかえって挑発するように、明智の愛弟子であり恋人である、文代さんの誘拐を謀ります。
 明智からという偽の伝言で、文代さんは両国国技館におびき出されるのですが・・・
旧両国国技館(昭和10年代).jpg

※旧・両国国技館(昭和10年代)。傘の開いた形状から、「大鉄傘」の別称もありました。


 おりしも国技館では、菊人形大会が開催中。
 待ち受けていた男(実は「唇のない男」の変装)に導かれ、その菊花香る絢爛の迷路を進むうち、彼女は罠に落ちたことに気づきます。
 しかし、そこで怯む文代さんではありません。謀られたと見せかけて、敵を欺く算段さえします。
 相手の用意した麻酔薬を無害な水にすり替えたり、嘲弄しながら敵の手を掻い潜ったり、配電室に追いつめられるや、ある方法で自分の窮地を外部に知らせたり(壮大な救助信号を発するのです)、一体の菊人形と入れ替わって展示物の中に身を隠したり―と、「和製女ヴィドック」と称される才知を遺憾なく発揮して、危難をすり抜けるのです。
 そうこうしているうち、救助信号を察知した明智探偵、小林少年そして警察隊が国技館に踏み込みます。
 形勢不利を悟った「唇のない男」も、菊人形に紛れたり、鏡の錯覚を利用したりして巧みに逃れるのですが、館内に満ちた捜査陣に追い詰められます。
 ついに捕縛のときを迎えたか、と思われたものの―
「唇のない男」は逃げ場を、高所、高所へと求めるのです。
 傘の骨のような丸天井の梁へ、ドーム型の屋根の上へ、繋留綱を伝わって広告風船(アドバルーン)の腹へ―さらには綱を断ち切って、風船とともに無窮の蒼空へ・・・
 このスペクタクルな捕物劇に、地上の見物人は熱狂して、やんやの大喝采。
 文代さんは無事だったものの、賊は取り逃がしたうえ、明智探偵は負傷する―両者痛み分けの顛末です。
 
 この長い誘拐劇~逃走劇のなかで、注目したいのは菊人形です。

 江戸時代後期に、菊細工(動物や風景を菊花で表現したもの)や、生人形(いきにんぎょう 桐などの素材で、伝説・歴史上の人物、神仏、役者、花魁などの似姿を、等身大に模ったもの)、といった見世物が発祥しました。
 菊人形は、いわばこのふたつー顔や手足などは精巧な人形細工、衣裳は色とりどりの菊細工―の合体です。
 また幾体もの菊人形で、歌舞伎の名場面や時事的な出来事などを、舞台上で再現する見世物自体も、菊人形と称しました。

 江戸時代末から明治時代を通じて、菊人形の本場といえば本郷の団子坂で、東京の風物詩として大いに見物人を集めたそうです。
 当初は園芸師たちが腕を競い、披露する場との色合いが強かったようですが、のちに観覧客から木戸銭を取る興行となりました。
 
 明治42年(1909年)、本所の両国国技館で、電気仕掛けや電飾を施すなど、新奇な趣向を凝らした菊人形が話題になり、大盛況を博しました。これをきっかけに国技館での開催が、秋の恒例となりました。
 その影響で旧来の団子坂の菊人形は衰退する一方で、集客の見込める催事として、全国的に波及、定着していったようです。

 戦時中を除き大正~昭和を通じて、秋になると菊人形は各地で盛んに開催されたそうですが、私自身の記憶として印象に残るものはほとんどありません。
 小学生のころ、家族で犬山市のモンキーパークや犬山城を見に行ったときに、菊人形をやっていたような気はします。怪獣ブームの最中だったか、怪獣の菊人形もあったと、おぼろげに覚えている程度。
 そこかしこの遊園地などで、秋になると添え物のような感じで菊人形が飾ってあるのは何度か見かけましたが。

 斧琴菊(よきこときく)のめでたい判じ物を凄惨な連続殺人にあしらった、横溝正史原作の映画、「犬神家の一族」( 市川崑監督 角川映画 1976年)では、湖の逆さ死体やゴムマスクの佐清登場と並んでショッキングな場面、菊人形の生首すげ替えも印象深かったですね。

 近年では、定期的に開催される大掛かりな菊人形は、全国でも数ヶ所ほどしかないようです。 
団子坂の菊人形~「新撰東京名所図會」(明治40年)よりI.jpg

※こちらは明治40年頃、団子坂の菊人形の賑わい。~「新撰東京名所図會」より

 本篇連載中、実際に両国国技館で、日露戦役二十五周年記念の菊花大会が開催されていたそうです。
 おそらく乱歩のことですから、自身ワクワクしながらこれを観覧し、さっそくその模様を作中に取り入れたのでしょう。
 国技館内部の菊人形展示の様子を、それこそ「見てきたよう」に―しかしながら緊迫した追跡劇の繰り広げられる最中に、どこかしら暢気な筆致で―活写しているのです。

「行く程に、菊人形の舞台は、一つ毎に大がかりになって行った。
 丹塗の高欄美々しく、見上げるばかりの五重の塔が聳えている。数十丈の懸崖を落る、人工の滝つ瀬、張りボテの大山脈、薄暗い杉並木、竹藪、大きな池、深い谷底、そこに天然の如く生茂る青葉、香る菊花、そして、無数の生人形だ。
 あの大鉄傘の中を、或は昇り、或は下り、紆余曲折する迷路、ある箇所は、八幡の藪不知みたいな、真暗な木立になって、鏡仕掛けで隠顕する、幽霊まで拵えてある。
 明治の昔、流行した、パノラマ館、ジオラマ館、メーズ、さては数年前滅亡した、浅草の十二階などと同じ、追想的な懐かしさ、いかもので、ゴタゴタして、隅々に何かしら、ギョッとする秘密が隠されていそうな、あの不思議な魅力を、現代の東京に求めるならば、恐らくこの国技館の菊人形であろう」

 乱歩趣味のひとつに、〔ユートピア願望〕というのがあります。
 通常、ユートピアは理想郷という意味になるのでしょうが、ここでいうユートピアは人工の楽園―まあ、いまで言えばTDLやUSJのようなテーマパークに近い概念でしょう。
 ある人物が自分の夢想や芸術心を、人工の楽園という形で具現化しようとする、そんなモチーフを好んで取り上げています。作品でいえば「パノラマ島綺譚」「蜘蛛男」「地獄風景」「大暗室」「影男」など。

 本篇では、現実にあった菊人形を作中に取り入れただけなので、登場人物(≒乱歩)の夢想や妄想が反映されたものではありません。
 しかしその情景描写は、例えば「パノラマ島綺譚」で、主人公・人見広介がかりそめの妻・千代子をいざない、完成したばかりの人工の楽園を巡っていくくだりのそれと変わらず、乱歩の、ある種の熱情を感ぜずにはいられません。

 引用文に「あの不思議な魅力を、現代の東京に求めるならば、恐らくこの国技館の菊人形であろう」とあるとおり、現実世界で乱歩の〔ユートピア願望〕を満たしてくれるのが、国技館の菊人形だったのでしょう。

 ―と、前置きが長くなりました。肝心の挿絵に関するコメントは次回に。
posted by Pendako at 10:23| Comment(0) | 江戸川乱歩 | 更新情報をチェックする

2020年06月15日

120字の映画館No.23  三船敏郎 その1~「レッド・サン」

 原題:英語版 Red Sun, 仏語版 Soliel Rouge
 監督:テレンス・ヤング
 製作:仏・伊・西合作 1971年
 出演:三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロン、ウルスラ・アンンドレス

日米修好のため渡米した、日本の使節団を乗せた列車が強盗団に襲われた。奪われたのは大統領への献上品、黄金の刀!!奪還の命を受けたサムライ・黒田重兵衛は、仲間割れした強盗団のひとりと奇妙な友情を結びつつ、その首領を追いつめる。アパッチの襲撃!燎原の対決!!銃が勝つか、太刀が勝つか?
「レッド・サン」(1971年)ポスター.jpg

 三船敏郎の凄さを知ったのは、学生の頃に観た「酔いどれ天使」(黒澤明 東宝1948年)―という話は、以前このブログで書きました。(120字の映画館No.03~黒澤明その1 「酔いどれ天使」
 ですが小学生の頃から、父に連れられて観たり、友だちと連れ立って観に行ったなかにも、三船敏郎出演作は結構ありました。

 「日本のいちばん長い日」(岡本喜八 東宝 1967年)
 「黒部の太陽」(熊井啓 三船プロ/石原プロ 1968年)
 「連合艦隊司令長官 山本五十六」(丸山誠治 東宝1968年)
 「太平洋の地獄」(ジョン・ブアマン 米1968年)
 「風林火山」(稲垣浩 三船プロ1969年)
 「日本海大海戦」(丸山誠治 東宝 1969年)
 「座頭市と用心棒」(岡本喜八 勝プロ 1970年)
 「激動の昭和史 軍閥」(堀川弘通 東宝 1970年)

などがそうです。

 三船敏郎が私財を投じて映画やテレビドラマの制作会社・三船プロダクションを設立し、「赤ひげ」(東宝/黒澤プロ 1965年)を最後に、黒澤明作品への出演が途絶えた時期にあたります。
 彼が邦画界だけでなく、国際的にも高い評価を得ている俳優という認識は、私のなかで徐々に醸成されたようです。
 このうち「黒部の太陽」は、父の勤めていた工場に撮影セットが組まれ、その現場見学に行ったことがある―という思い出も、以前の記事(一枚の写真から)で触れました。
   
 高校時代になると、友人と観に行くのは洋画主体となります。(たまにひとりでこそこそ、関根(現・高橋)恵子さんや、夏純子さん主演の映画なども観に行きましたが) 
 この頃の、唯一の三船敏郎出演作といえば「レッド・サン」でした。(以降しばらく、活躍の舞台はテレビ時代劇に移り、映画での俳優業は休止状態となります)

 日本では前年の「雨の訪問者」(ルネ・クレマン 伊・仏 1970年)あたりから注目され、「う~ん、マンダム」のCF(監督は大林宣彦!)で大ブレイクしたチャールズ・ブロンソン。

 フランスを代表するニヒルな二枚目俳優、アラン・ドロン。「D’urban, c’est l’élégance de l’homme moderne.」のCFもこの頃です。

 そして多言は無用、世界のミフネ。「男は黙ってサッポロビール」です。

 この3人に絡むのが初代ボンド・ガール、ウルスラ・アンドレス。監督は007シリーズの初期3作品を手掛けたテレンス・ヤング。

 絢爛豪華な顔合わせも、日本のサムライが西部劇で活躍するという破天荒なストーリーも大変な話題になっており、私もぜひ観たいと思っていた折に―

 中学時代の同級生から「次の日曜、映画行かない?」と持ち掛けられました。
 確か「小さな恋のメロディ」とか「フレンズ~ポールとミシェル」とか、そんな類の題名が上がったと思いますが、やんわりと拒絶。
 だめもとで「レッド・サン」を押すと、意外にもすんなりOKとなりました。
 併映が「特攻大戦線」(ヴァレンティノ・オルシーニ 伊 1970年)という作品で、彼女がこちらに主演するジュリアーノ・ジェンマのファンだったらしい。

 導入部の、強盗団の列車襲撃からテンポ良く話が進みます。
 強奪された献上品奪還の命を受けたサムライ(三船敏郎)と、仲間に裏切られ復讐に燃える強盗団の片割れ(チャールズ・ブロンソン)とが、共通の敵(アラン・ドロン)を追って荒野の珍道中を繰り広げます。

 日本人とアメリカ人、武士の矜持とならず者の沽券、謹厳実直と放縦懶惰・・・

 出自やキャラクターの異なるふたりが、図らずも同道することになり、そのギャップから生ずる対立や、やがて奇妙な友情が芽生える過程に、何とも言えぬ可笑しみがあります。

 ちなみに男同士の友情を男女間の恋愛に置き換えると、「或る夜の出来事」(フランク・キャプラ 米 1934年)や「三十九夜」(アルフレッド・ヒッチコック 英 1935年)になりますね。
 このプロセスだけを閉鎖空間で描くと、前述した「太平洋の地獄」になります。こちらは緊迫感を孕んだ深刻劇ですが。

「レッド・サン」は、3人の主役の持ち味を随所に活かしながら、全体としては三船敏郎と武士道精神へのリスペクトに満ちた異色の西部劇となりました。(ハリウッド製ではなく、撮影もスペインで行われているので、マカロニ・ウエスタンの変種といったほうが当たっているかも)

 ―と、差し障りなくまとめてみましたが、実はこの映画館での初見のときには、あまり愉しめなかった記憶があります。
 隣の席の様子が気になって、画面に没入できなかったのです。
 会ったときから妙におとなしい、会話がぎこちない。
 緊張してるんか?―と思っても、それを解きほぐすすべは知らず、逆にこちらにも伝染して・・・

「レッド・サン」が終わって、彼女のほうのお目当て「特攻大戦線」が始まるともういけません。
 第二次大戦中のイタリアのレジスタンス運動を描いた、重苦しい気の滅入るような内容で、半分も観ないうちに彼女が席を立ちました。
「気分が悪くなったから先帰るね」
 駅の改札を抜けていく姿を、悄然と見送ったものです。
 ほろ苦いばかりの初デート―もっとも彼女からは事前に、「これはデートの予行演習だからね」と宣言されていたので、ひょっとしたらデートではなかったのかも知れませんが。
 本番ではうまくいったのかしらん?

 当時の自分への通信手段があれば、デートで映画観るなら「小さな恋のメロディ」路線にしておけ、と助言するでしょうね。

 その後テレビで観返して、あらためてこの映画の面白さを認識しました。
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2020年06月07日

120字の映画館No.22 新東宝映画 その3~「世界の母」

 監督:野村浩将
 製作:新東宝 1958年
 出演:小峰千代子、宇津井健、三ツ矢歌子、小畑絹子
父の犯した罪を被って服役した三男・修三は、刑期を終えるや、母の面影をあとに、職を求めて旅立った。だがその留守中に、母の境遇は一変する。多額の負債を残して夫は死に、長男家、次男家と身を寄せるも、降りかかるは冷たい仕打ち。やがて路頭に迷う母に、幸せな日々は巡らぬか?修三はいま何処?
「世界の母」(1958年)ポスター.jpg

 何と云う映画だったのだろう?

 私が小学1年か2年のときにテレビで観たきりで、ほんの断片的なシーンのいくつかと、そこに登場していた何人かの役者の顔を、ぼんやりと覚えている程度。

 慈しみ大切に育ててきた子どもたちから、長じては厄介者として疎んぜられる老母の哀れさ切なさを描く悲劇―
 そんな内容だった気がしますが、乏しい記憶を勝手な想像で補っただけかも知れません。

 物語の終盤―
 雪の降りしきるなか、老母が我が子の家を訪ねていくのですが、一家団欒の様子を外から窺ったきりで、来た道をとぼとぼ引き返して行く・・・
 そんなシークエンスが確かあったはず。

 「何と云う映画だったのだろう」と気になりながら、数十年の時を経て―

 実家で、我が家の老母を囲み、みなで昔話に花を咲かせていたときのこと。
 最近の出来事は右から左に流れて何も残らない代わりに、昔のことはわりと鮮明に覚えているらしく、「小さいころ、こんな映画を観たんだけど」と、私がおぼろげな記憶をぽつりぽつり話していると、
「ああ、「世界の母」と云う、宇津井健が出た映画だよ」と、母がこともなげに言うので、びっくりしました。
「おまえがこの映画で、オイオイ泣いていたんでよく覚えとる」そうで。
 喉に引っ掛かった小骨が、ようやくとれた思いがしたものです。
 
 確かに宇津井健が出演していました。それも兄弟の中で唯一母思いの、気の優しい正義漢の役。
 このときの好印象があったからでしょう、後々テレビドラマなどで宇津井健の姿を見かけると、なにかこう、暖かい気持ちになったものです。
 ただし見かけるたび口癖のように、「いつまでたっても〇〇役者だな」と漏らすので、家人から呆れられたものです。実はこれ、深い親愛の情に裏打ちされた表現ですので、ご容赦を。
 
 「世界の母」を再見する機会はありませんでしたが、後にその紹介文などを読むと、もう少し込み入ったストーリーのようです。
 また悲劇的な展開ながら、最後は大団円で終わる感動作らしい―そうした部分はまったく記憶に残っていません。
 
 それにしても「世界の母」とはずいぶん大仰なタイトルです。新東宝らしいといえば、らしいのですが。

 監督の野村浩将は、戦前に松竹蒲田で監督デビューし、松竹大船に異動し「愛染かつら」(1938年)の大ヒットを記録、戦後は新東宝に移籍して文芸物、戦記物、アクション物など多彩な作品を発表した方。
 新東宝時代の「潜水艦ろ号 未だ浮上せず」(1954年)と「戦雲アジアの女王」(1957年)は、かつて大井町にあった大井武蔵野館で観たことがあるので、いずれ紹介してみたいと思います。
posted by Pendako at 23:38| Comment(0) | 120字の映画館 | 更新情報をチェックする
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